つのわのブログ

さまざまな良いデザインと住まいや身の回りについてのアレコレです。

こどものころの記憶が、モノ作りに繋がっているという話し

 

土曜日の朝、朝食後片付けと洗濯・掃除などササっと終えまして、いつもならパソコンに向かうところをそうではなく、ミシンを出してきてワイドパンツを縫いました。

いつだったか随分前に、布地を買って置いたのです。

そのうち気分転換に、何か縫ったりできるようにと。

 

もう4年くらい前から、ボトムスに関しては、ほぼ自分で縫ったものしか着ていません。

 

そもそも、どうして縫ってみようということになったのかというと、着たい服、買いたい服がみつからなくなってしまったから。

(無職になったのもありますけど・・・(゜▼゜))

 

じゃぁ、縫うしかないわ・・・

 

というわけです。

 

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パターンはボトムスなら3種類、自分のサイズで作ってあります。

ワイド、バルーン、サルエル

このパターンがあれば、裁断からだいたい4時間くらいで作れます。

 

 これができるようになったのは、母親が買ってくれたミシンのおかげです。

頼んだわけでも、おねだりしたわけでもありません。

4年前のある日突然、

 

「ミシン買ってあげたから~、取りに来て」

 

と実家の母親から連絡がありまして、我が家へやってきました小さなミシンさん。

ミシンなんて、高校の家庭科の授業でエプロンか何か縫ったとき以来、触ったことがありません。

見ると、当時に比べてかなり進化しているのが直ぐに分かりました。

名前からして「コンピューターミシン」と言うくらいですからね。

 

(ちなみにわたしのミシンはこちら⇒ HZL-K20|JUKI家庭用ミシン )

 

どう扱ったら良いのかわからないし、取り説を読むのも(付属のDVDを見るのも)面倒だったので、そのまま半年ほど寝かせてしまいました。

 

ところで、78歳の母親は、嫁入り道具の足踏みミシンをいまだに愛用しています。

朝ドラ・カーネーションで糸子が使っていたのと同じタイプ。

かなりアンティークな見た目ですが、まだまだ現役です。

そういえば、母親は昔から洋服を自分で作って着ていました。

幼いころわたしは、全て母親の手作りでした。

スカート、ズボン、ワンピース、ピアノの手提げ袋、シューズ袋、ハンカチ・・・

ぜーんぶ手作り。

さらに、フランス刺繍を教えていました(今もやってます)ので、全て名前の刺繍入り。

今考えたら、完全な母オリジナル・ファッションでした。

 

でも、当時はあまり嬉しくはなかった。

何故なら、母親が作る洋服は、生地がベルベットやツイード、木綿や麻などで、色はベーシックで大人しい、悪く言えば ザ・地味。刺繍は植物や自然の風景ばかり。

正直、幼い女の子が飛びつくデザインではなかった。

当時わたしは、みんなが持っていた流行りのキャラクターや、襟に大きなフリルがついたふわふわしたデザインの服が良かった。

 

ところが、今になってその当時の写真のどれを見てみても、まわりの友達のファッションよりもわたしのほうがとっても素敵に見えるのです。

生地の素材を生かしたベーシックなデザインに、伝統的な柄の刺繍がちょっとポイントになっていたりして、言い過ぎだとは思いますが、いわゆる

 

「イイトコの嬢ちゃん」

 

に見える。(^^* 前髪パッツンですけど・・・

 

まぁ、わたしの幼いころの写真なんて、姉のに比べたら半分も無いんですよ。

二番目とはそういうもんです。

 

しかしながら、それら手作りのもののひとつひとつ、ちゃんと記憶に残っているんですよね。不思議なんですけど。

例えば、ピアノの発表会に着せてもらった、深いグリーンのベルベットのワンピース。髪には共布でリボンを結んでもらい、ピカピカのエナメルの革靴を履いていたのを今でも覚えているんです。なのに、何の曲を弾いたのかは覚えていないという。

集合写真には、派手なステージ衣装の友達に紛れて、ザ・地味なわたしが写っていました。

それでも、そのワンピースだけは古めかしく見えなくて、今でも着れそうなベーシックなデザインです。(顔は昭和ダケド!)

 

ちょっと、母親のことを見なおしました。というより素敵じゃん!

 

母親からしてみれば、ミシンがそばにあるのが当たり前なんですね。

なので、わたしにも持たせようとミシンを買ってきたのだと思います。

コンピューターミシンでは聞こえることはありませんが、

足踏みミシンの、あの弾むような心地よい音は、幼いころからBGMのように毎日聞いて過ごしましたので、耳の奥で覚えている気がします。

 

こどものころの記憶って、ちょっとロマンがありますねー。

 

 我が家にやってきたミシンさんは、そんな子供のころの記憶のおかげか、取り説を読んだりすることもなく、自然に使えるようになりました。

毎日ひたすら、パソコンに向かってキーボードをカタカタ・・・

そんな中、ときどきミシンを取り出して、糸と布を触ることは良い気分転換になります。

ぜひ、おすすめしますよ。

 

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 

 

フリマに出品するのが、合理的とは思えない人もいるのです

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こんにちは。

はてなミニマリストの方々のブログを読むのが、わたしの癒しになっています。

お陰でそれが刺激にもなり、日々のことや仕事に役立てることができて大変

有難いです。

 

きっかけは、心動かされるミニマリストのブログ

 

一昨日は、キッチンの棚を一つ空っぽにしました。

収まっていたので邪魔になって困るという程ではないけれど、昔から涼し気な色のガラス製の瓶や器が好きで、それがいつの間にかけっこうな数に増えていました。

その中で花器等として実際に活用しているのはお気に入りの2、3個のみ。

その他は日常に登場することもなく、棚にしまったままになっていたのです。

「ちょうど今週は資源ごみの収集日がある、するならこのタイミングだな」

と、理由ときっかけがそろったところで一度整理することに。

 

モノが多いのに美しい場合も実際はある

 

よくあるのですが、わたしは片付けをし始めると、自分が納得できるまで続ける傾向があります。(自分の身の回りに限ってです勿論)

 

その延長で昨日は、実家で眠っている衣類や本、雑誌(自分と親の)を整理して、リサイクルショップへ持って行きました。

 

思い出すことが少ないですが、自分の家に置いてないだけで実家に帰ると、実はまだ自分のモノがそのままになっていたりしますよね。

親は勝手に処分したりはしませんよ。

むしろ、歳を重ねるごとに「きちんと保管」しておくようになりますよ。

 

一般的に、年配の方の家へ伺ってみるとモノが多いのに、ファイリング力があるようで、あらゆるモノを「きちんと保管」してあるところをよく見かけます。

わたしの実家もそうなのですが、例えば新聞記事のスクラップブック。

その中身を見ると、切り抜きの縦横のラインがピシっと揃っていて、正直言って大変美しい。日付だって前後していません。それが数十冊本棚にズラリ。

しかも文字もそこそこキレイなので、手書きのラベリングも美しい。

ある意味感心してしまいます。

但し、それを後にどうしたいのか?という目的だけは不明です。

恐らく、収集して整理することそのものが目的になっているように思います。

 

以前にも書いたとおり、整理と片付けはその最終的な目的(終着点)が大事です。

整理と片付けは自分の目標達成のための、手段にすぎません。

単に趣味や気分転換でする、という目的もあるかもしれませんが、そういう人はもともと整理が上手で、いつも片付いている状態を保てていると思うので、何も言うことはありません。

 

で、今日は親のその美しいスクラップブックたちは、ひとまずそっとしておいて、収納に眠ったままになっている衣類と読み終わった本の整理をしました。

親が、まだ使えるものを捨てるのは「勿体ない」ようで、気がすすまないけどリサイクルに出してくれるのなら・・・と言うので、整理したものはそのまま直ぐにリサイクルショップへ持って行きました。

 

「勿体ない」とは?

 

片付けが終わって、知人にこの話しをしたところ、

「それは勿体ない!ネットのフリマで出品すればもっと高く売れるのに、ちょっとは考えたら?」と言われました。

  

「勿体ない」

 

さて、「勿体ない」の理由はどこにありますか?

知人が言った「勿体ない」と、うちの親が言うのと、わたしが「勿体ない」と思うその理由。

 

その答えは、「勿体ない」の理由は、全員違うんですよね。

それぞれの理由は次の通りです。

 

  • もっと高く売れるのに、お金に損しているから勿体ない
  • まだ使えるのに処分するのは勿体ない
  • 使わないモノをしまったままにしているのは、モノもスペースも勿体ない

 

わたしや親にそのフリマをするよう勧められても、時間と手間を考えるとちょっと面倒に感じてしまって合理的とは言えません。

わたしの知人にしてみれば、今そのフリマが趣味になっている程の腕前なので、家の片付け目的というよりはむしろ、出品目的で買い物もしています。

誤解のないように言うと、わたしの知人は最近モノを買うときは、後で高く売れるかどうかが基準になっています。これが、結構うまくいっていて(まるで古物商w)、なかなかおもしろいなと感心したところですw

 

理由はどうあれ、気持ちよくはじめよう

 

なので、ここを間違えると人によって整理や片付けの作業というのは、

「面倒だな」「また今度にしよう」「まだ大丈夫」

というような考えになり、先延ばしになってしまいそうです。

 

そうならないようにするには、やっぱりまずは目的を明確にすること。

それも自分で決断することです。

整理や片付けとはそもそも前向きな行動ですから、それぞれがいつでもすることができて、気持ちよく続けられたらそれで良いと思うのです。

 

ヒト・モノ・ペットが共存する、住まいの計画とは

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こんにちは。

悩みってありますか?

わたしの場合はこれといった悩みは無く、どちらかと言えばちょっとした不安だったり、胸がざわざわする感覚に陥ることはあります。

 「エアコン消したっけ?」

 「鍵かけたっけ?」

・・・ざわざわしませんかね?!(^^;)

そんなことはどうでも良いので、ここからが本題です。

 

ここ数年前から、いまひとつスッキリしないことがあります。

それは何かといいますと、

  

 

室内におけるペット飼育の状況について

 

です。

わたしも実家では代々黒猫を飼っていましたので、今でも猫好きですし、そもそも犬も鳥もカメレオンも、みんな大好きです。

 

これが、室外の飼育であればそれほど問題はないのですが、室内飼育の場面で少し異様?な状況になっていると思うんですね。

例えば、

 

小型の室内犬がいるお住まい

 

ほとんどのご家庭に見られる状況で、わたしの胸がざわつくポイントがあります。

それは、 リビングにゲージとトイレ が設置してあるパターンです。

 

もともと人だけが住んでいたところに後からペットを飼い始めたから、或いは住宅事情の問題でリビングしか置ける場所が無かったなど、半ばあきらめでそうなることもあるとは思います。

ですが、入居したての新築で一戸建てやマンションでも普通に見られる状況です。

  

リビングのゲージの周りを見てみると、ドッグフードキーパーやおやつ(ガム?)、クタクタになったおもちゃたち、毛布、シミが残っていて使いかけのトイレシートが敷いてあったり、トイレットペーパーがゲージに取り付けてあったり。

そして更に、ゲージの上にも荷物が積み重ねられていることもしばしば。

さまざまなモノであふれているのです。

高価で立派な家具が揃っていても、他が整理整頓されていたとしても、やはりそこだけ際立って見えるのです。

 

わたしは胸のざわざわが収まりません。。(^^;)

 

想像してみてください。

家族がくつろぐリビング、または食事をするLDKです。

 

・・・(^^;)いかがでしょうか。

 

もうすでにそれが普通の景色になってしまっているのかもしれませんね。

 

何度も言いますが、わたしもかつて室内で猫を飼っていたことはあります。

なので批判するつもりはありませんし、むしろ動物が大好きだから気にするのです。

 

欧米のペット事情について

 

ところで、欧米ではどうでしょう?

そもそも国土の大きさによる住宅事情の違いから、大型犬を飼育する家庭が多いようです。

しかし、テレビ中継やドラマ、映画、インターネットや画像、雑誌などを見てみても、その室内が日本のような状況にはなっていないことに気が付きませんか。

(勿論ゼロではないと思います)

では、なぜ日本のような状況になっていないのでしょうか。

 

以前LAに住んでいたという従妹にも、聞いてみました。

「トイレは屋外か庭でさせるよ。トイレシートを売っているのは一度も見たことが無い。」と話していました。

 

欧米では家も庭も広く、大型犬を飼育する家庭が多いので、例えばトイレは室内ではなく散歩中か庭でさせるのが一般的。

更に、万が一他人に危害を加えた場合には日本よりもかなり厳しい罰則がある(刑罰)といったような、法整備や慣習などの違いから、最初にしつけの訓練を受けさせるのが一般的に浸透している。

ゲージは、赤ちゃんの頃だけに使用するものだから、ある程度成長したら撤去してしまう。

このように、モノの使い方や認識についても違いがありそうです。

 

日本と欧米では住宅事情や習慣、考え方ひとつにしても同じではないのは当たり前なのですから、どっちが正しいとかそういうことを言いたいのではありません。

どの状況にしても、各家庭でどうしてそうなるのか?という原因や要件、そしてその結果について整理し、まずは客観的に見るということをするべきです。

面倒でもそれは、住まいの計画やデザイン、整理収納を考えるうえでとても重要なことです。その後で実際にどうしたいのか、目的を持って計画を立てるのが良さそうです。

 

ペットがいる家といない家とでは、モノの数が違うのは当然

 

いつもわたしが考えるときの基本にしていることは、

 

バランスです。

 

どんなに素敵な家具やデザインに仕上げたとしても、全体のバランスが悪ければ、最初のベストな状態は長続きしません。

ここで言うバランスとは、ペットがいる家ではペットのことも、当然に計画の中に組み込まなければちぐはぐになるということです。

つまり、住まいや整理収納の計画を立てるとき、お父さんの趣味やお母さんのパントリー、子供たちの勉強スタイルや遊びの道具・・・といった人間のことだけに集中した計画は、結局リビングにゲージとトイレ、といったようないつもの景色が常に生まれ続けることになります。

 

別に良いじゃないの。。。(^^;)

 

そう思われるかもしれませんねw

 

でも、世の中にはこれまでとは違う、人とペットの共同生活が実際にあるはずです。

単にまだそれを知らないだけかもしれません。

この、知らないだけというのが本当は勿体ないと思いませんか?

知らないことを知ってから目的を持つのと、知らずに考えることすら思いつかないのとでは、得られる結果が随分違うような気がしませんか?

 

今、ペットに関する製品はあらゆるモノが発売されていて選びたい放題です。

しかし、基本的には形がちがうだけで新たに設置するものばかりです。それはどこに設置されても結局は、ほぼ同じ状況が生まれます。

つまり、考え方や認識そして使い方が変わらなければ、単にモノを買い替えただけでは結局お金を使っただけで何も変化していないということになりかねない。

 

人、ペット、モノ

 

みんなが気持ち良い共同生活を目指して、考えてみませんか。

続きはまた次回にします。

 

 

片づけなさい、捨てなさい、と言わなくても良い方法があるんです

 

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性格じゃなくて言葉のイメージの問題?

 

こんにちは。

いつも感じていることなんですけど、(誰かも言っていましたが)

次の言葉(作業)のイメージってどのように思いますか?

  • 掃除をする
  • 片付ける
  • 整理する
  • 捨てる
  • 処分する

次に、以下と比較してどうでしょう。

上と下の言葉って、ほぼ共通したイメージがあると思うんですね。

それは何かといえば、

 

◎「メンドクサイ」

 

です。他にも暗いとか負のイメージ、聞くとちょっとシンドイとか。。

ところが実際は、どれも「将来」に向かった「前向き」な行動のハズですよね。

  

ここでは上の「掃除・片付け・整理・捨てる・処分」について。

そのように暗くてちょっと面倒なイメージを持ったままの人に対して、

いくら「片づけなさい」「捨てなさい」と言っても、それは単にストレスを与えるだけで、そのまま言い続ければ最終的には嫌われるだけです。

 

では、どうするのが良いのか?

答えはたった一つ、

 

「本人が決断する」のを促す。

 

(ナッジですねw)

「決断させる」のでも「決断するのを待つ」のでもありません。

 

本人が決断する」ことが重要なのです。

 

結局、何事も自分が理解して決断しないと、行動は定着しないものです。

想像してみてください。

自分で考えて理解した上で決断した行動によって十分な成果を得たら、その次はどうすると思いますか?

それは、そのストーリーを人に話したくなるんです。その時の自分はどんな様子だと思いますか?

相手から見て、とっても明るい様子で話したりするものなんです。

そして、そのストーリーを何人かの人に話した後は自分はどうなると思いますか?

その行動が定着します。人に話した分、止めにくくもなりますよね。

そして終局的には、自分のイメージアップに繋がり、いろんなものの考え方まで変わります。これは確実です。

 

◎ 当たり前の話し

 

ここまでのことは、実は誰が考えてもけっこう簡単に想像がつきますよね。

そうです。そもそもみんな分かっていて、知っていることなんです。

だから、ナッジ。ちょっと肘でつっついて促せばいいだけなんだと思います。

では、この続きはまた今度お話しします。

 

やっぱり、ママたちを応援したいだけなのさ

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こんにちは。

先日、移動中でのはなし。

同じくフリーランスで仕事仲間の女性と二人で、路面電車に乗ったときのこと、

昼間でもシートは満席(わたしたちは座れました)で、通路に立ち乗りしている

乗客はいるけどそれほど混雑はしていない。だれも人と体が触れない程度。

次の駅で、3歳くらいの女の子を連れた大荷物のママと、白髪のおばあちゃま一人

が乗って来ました。

 

大荷物のママ

おばあちゃま

 

究極の選択かとも思いましたが、

おばあちゃまは見た感じ、背筋も足元もしっかりなさっていて、ちょうど背もたれ

がある場所に捕まれたのでとりあえず大丈夫そうに見えたのでした。

一方、大荷物のママは、左手が荷物でふさがっていて背中にもそこそこ大きめの

リュックを背負って、右手は女の子の手を引いています。

じゃあ、ママはどの手でつかまるの?

とっさに、その大荷物のママに席をゆずりました。

荷物を足元へ置き、女の子を膝にのせたら二人ちょうど座れました。

 

後日この様子を友人に話したところ、二つの意見が聞けました。

まず一つ目の意見は、

「普通、おばあちゃんに席を譲るでしょ?この場合はそうすべきよ、だってママは

若いんだから」

確かに、それも間違いではない。

しかし、わたしの言い分はこうです。

”子育てしている人にはみんなが全力で協力すべき。わたしはただママたちを応援したいだけなのさ”

すると、友人はこう言います。

「それは、甘いわー」

 

そこで更に、二つ目の意見。

「わたしなら、一緒に座っていた隣の女性に ”立ちなさいよ” と言うけどね。」

なるほど、さすが私の友人です。

それなら、大荷物のママもおばあちゃまも座れて問題が一度に解決できます。

あ、意に反して立たされた隣の女性の気持ちはわかりませんが。

人それぞれの意見があって、おもしろいですね。

いずれにしても、素直に、良いことをすると気持ちが良くて、親切にしてもらうと心が温かくなれるような社会が過ごしやすいんだと思う。素直に。

 

今日買って良かったと思ったものはコレ

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こんにちは。

ワタシは「文房具がすき」です。

おそらく「嫌い」と言う人はいないハズ。

近年はそのデザインのレベルが高く、質が良くなってきていると思います。

性能はもちろんですが、何にしても見た目はけっこう大事よと、みんなが意識してきたということでしょう。

少し前までは、文房具といえばドイツ製かイタリア製のものばかりを好んで買っていました。なぜなら、やっぱりデザインが良いので持っているだけで、気分がアガるから。

ときには仕事の疲れも癒してくれましたネ。

デザインは本当に重要ポイントです。

 

例えば、一日履くとマジで足が痛いパンプスだけれども、デザインが美しいうえに、足が長く見えるしとってもお洒落ならば、少々ガマンできるんです。ハイ。

 

たかがボールペン一本だとしても、例えばお客さんとの契約の席で使うとき、美しいデザインのペンを差し出すとお客さんもそれを見て何かしら思われるはずです。普段使いにしても、そこから相手との話が弾んだりするきっかけになるかもしれません。

 

とにかく、そんなんで、今日おもしろいペンを見つけましたよ。

ボールペンなんですけど、横にゴムが付いているんです。

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ふたをしめると↓こんなふう

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で、手帳などに取り付けて持ち運べるってデザインです

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これは便利!しかも見た目もスッキリ

 

更に感心したのが、ふたのてっぺんの黒いシリコン部分が、

タッチペンになっているんです。

女子はネイルが邪魔になって、うまくタッチできないのでかなり便利です。

あと、乾燥しているので(トシノセイヨ)ATMの画面でタッチがなかなか反応してくれないときもまた便利です。

色はネイビー他3色そろっていて、お値段が税込84円!?

(゜o゜)

何ですかコレ?!びっくりしましたーー。

書き心地も良いんですよ。

ワタシは細い文字が書けるペンが好みなのですが、まさにそれです。

 

ほんとに、デザインもオマケの機能もお値段にも感心したのでした。

 

いつも始めは真似から ~そもそもブレないために~

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こんにちは。

物に支配される

前回、これについて書きました。

実際、けっこうな確立でなってしまうんです。しかも女子が多い。

 

ずっと以前、今と比べてずっとアナログだった時代は、

「今日何を着るか?」

「どんなヘアスタイルとメイクにするか?」

「どんな間取りにするか?」

「どんなデザインのキッチンやサニタリーにするか?」

などなど、日々の生活の中で考える場面に遭遇すると、

まずは各々、自分のあたまで考えました。

そのあと、身近なそれが得意な人や専門家に相談しました。

間で、本屋さんや図書館で書籍を探したりもしたでしょう、とにかく自分の持てる知恵を絞って工夫してきたわけです。

そしてそれなりの結果を出してそのミッションは終了。毎日この繰り返しでした。

で、こういった日々のちょっとした女子の苦労を評価してくれるのも、身近な女子たちでした。

「それかわいい!」

「これは使いやすい!」

「真似したい!」

反対の評価もあったとは思いますが、おおむね褒められたんじゃないかな。

この部分は今も同じ、そうやって女子が女子のレベルを上げているわけです。

 

現代はというと、それがしだいにネットや雑誌やメディアなど、実際に見たものの中から、みんなの評価が高いものが良いものなんじゃないか、更にちょっとでも批判があると駄目なものなんじゃないか、そうするとますます自分のオリジナルがわからなくなります。

更に、そもそもの目的や目指す方向なんかも揺らいできてしまい、結果自分の意見が無くなる。

近年SNSが広がっていて、得られる情報が多いので選択肢はとっても増えていますが、その中から自分に最適なものとして上手な選択をする力は弱くなっていると思います。

「ま、こんなもんか。」

「ほぼほぼ、満足。」

「許せる範囲。」

「予想通り。」

多少謙遜した意味があるかもしれませんが、自分で調べて考え抜いて産み出した結果じゃないし、上手な選択ができたかどうかもよくわからないから、最後にこんな感想になります。おそらく最初の目指していた方向ともずれていたりして。

 

 

先日、建築士仲間の友人が話していたこと。

今年3月、短大生の娘が卒業式でそこに父親として出席したときのこと。会場に到着してわくわくしながらデジカメを構えたところ、何度も自分の娘がどれだかわからない事態に焦ったのだそう。

彼が言うには、どの娘もヘアーメイクがほぼ同じで顔アップでカメラを構えたら、見わけがつかなかったらしい。・・・とくにパパに起きやすい事態かも、納得。

 

ちょっと話が逸れました。

ステキだなと思う人の真似をすることが悪いと言っているのではありません。

そもそも、始め真似することから勉強する場面はけっこう多い。

そのステキだなと思う人が、他の多くの人からなぜそう見えるのかというと、

センスがいいし知識があって頭がいいしカッコイイとか見えてしまうのは、やっぱり、その人が周りに流されない、ブレない芯を持っているからなんだと思うんですね。共感したのはそのブレない芯があるというところなんです。

なので、最も真似すべきところはそこなんじゃないかなと。

外見より中身で勝負

40代になったからより理解できるようになりましたね(^^;

しかし、

見た目が9割

もウソじゃないですよ。

矛盾しているようで、二つは実は一体なんだと思います。

芯がブレたら見た目や言動にも現れるから。

 

他人からどう見えるかも大事なんですけど、そもそも自分がどうしたいか、どうなりたいのか目的を見失わないようにすることが大事だと思います。

ワタシはいろいろな相談をうけたとき、最初にそれを聞いて紙に書いてもらうことにしています。

そうすれば、多少アレコレ迷っても、道を見失わずにすむからです。