つのわのブログ

さまざまな良いデザインと住まいや身の回りについてのアレコレです。

気に入っているティファールのフライパンセット、買い換え時期が来た話し

ティファールの取っ手が取れるフライパンシリーズが気に入っていて、2年使用したところで買いかえしたという話しです。

 

ところで、近年わかったことでとにもかくにも持ち物は少ないのが最良、と考えるようになり、①基本は定番化、②単用途NGで多用途、③より美デザイン、など規則を決めて厳選化(モノ減らし)をすすめて来ていまして、鍋・フライパンについてはいろいろ検討した結果、テファールの取っ手が取れて重ねて収納できる6点セットに落ち着きました。
コレの使用者みんな同じことを言っていますが、本当~に便利でして使いやすいし洗いやすいし収納もコンパクトになるので、以来他の調理鍋は要らなくなり処分することに成功して大大満足しています。

 

 

ワタシが購入したのは『インジニオ・ネオ マロン・プレミア セット6 ガス火専用 L63592というセットで当時楽天で¥8,800でした。現在カラー変更になっているようです。

まる2年使ってフライパン26センチと22センチがだいぶ劣化してきて、食材がくっつきやすく汚れやすくなってきましたよ。

 

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3個ならべてみると、使用頻度の違いでミルクパンにはまだほとんど劣化がみえません。中央のお知らせマークがフライパンのほうはぼやけてしまって、表面の加工も茶色く焼け焦げた感じになっていました。

 

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裏側もガスコンロ使用なので擦れた跡が目立ちます。

 

とは言え実際はまだ使って使えないこともないのですが、食材がくっつきやすくちょっと汚れやすくなっただけで洗う際のストレスが2倍以上になり、そうなると食事の支度をするのも億劫になってきたので、これが買い換え時だと思いました。

そして買い換えたものは次の通りで、一番良く使う22センチフライパンと、28センチのウォックパン。ウォックパンは中華鍋のようなデザインで普通のフライパンよりも深さがあり茹でたり揚げ焼きしたりするのにも使いやすいので、以前から次はコレと決めていましたよ。
それとこの2センチ差が案外重要なんだと気付いていて、ワタシの場合は26センチは微妙に小さいと感じることが多かったので今回28センチにしましたよ。

 

並べてみると、新品はぜんぜん違いますねー。やはり買い換え時期は中央のお知らせマークが薄くなってしまったらその時期ではないかと思いました。

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使ってみて、26センチが28センチになっただけでめちゃめちゃ快適、ウォックパンにして正解でした。ウォックパンの6点セットがあれば最初からこちらにしたかったくらいです。

今回ひとつだけ迷ったことは、もともと6点セットにはハンドルが1つしかついていなかったのでそれをもう1つ買い足すかどうかで少し迷ったのですが、やっぱりモノを増やしたくなかったので買わないことにしました。
普段同時調理することが多い料理上手な人や2人で料理をすることが多い場合は、ハンドルが2個あったほうがきっと快適だと思います。

楽天で22センチが¥2,550、ウォックパンが¥3,140でした。

鉄のフライパンで料理するなどして丁寧な暮らしができる民ではないので、これからまた2年大切に使いながら、コトモノの厳選化・合理化(ほぼ終活)を進めようと思います。

以上です。
最後まで読んでくださってありがとうございます。

勝手にリノベーションプランを考えてみた【築古マンション編】

2014年から2023年の間に5回引っ越しを繰り返して来ました、転勤族二人暮らしです。

今回(5回目)の引っ越し先はこれまでの引越しで最も築年数が古いのに加えて、敷地条件に全然合ってない間取りになっているため、特に日照通風計画がガン無視されており、とにかく日中自然光がどこにもほぼ入らないのと開口部が片側しかないので通風がめちゃ悪いという…

入居前からその心配はしていたのですが、転勤が急に決まり退去まで2週間しか猶予が無かったのと、今年に入って始まった義理親の介護、諸々の事情が重なりやむなくココに決めざるを得なかったのでした。

もはやデメリットしか思いつかない物件なのですが、ココに決めた唯一の理由、唯一のメリットだったのは市街地中心部まで徒歩数分という利便性デス。しかし当然賃料は安くはない。

 

もう既に引っ越しは終わっているので、別の部屋を探しなおすことは今のところはできません。
そこで、この築41年マンションを勝手にリノベーションプランというのを考えてみたという話し。

 

まずは、現状の間取りは次のとおり。3LDKです。

現在の間取り

現状

 

次に勝手にリノベプラン。4というのはいろいろ考えて4パターン目になったから。

3LDKから→1LDK+Sへの変更プランです。

リノベプラン4

リノベプラン4


まずは現状の簡単な説明から。
建物は築41年のRC造でココはその低層フロアーの中央部分に位置する部屋になっていて、上下階と両隣(北南)は別世帯の部屋に囲まれています。玄関の外は解放通路(共用部)で西の隣地に接していて、東のバルコニーは幅員8m道路に接しています。

ですが、バルコニー側はその道路を挟んで向かい側にマンション群が建ち並んでいて、低層のこちら側へはそれらに遮られ朝日のひとすじも入りません。

間取り図を見ての通り、そもそも窓が東面だけなのにそれを遮られると、日中も照明がないと文字も読めないし、物を探し当てることも出来ません。
よって室内はどこも常に薄暗いです。どうして開口部をこの東側だけにしか計画しなかったのか、設計者の意図がサッパリ分かりません。
そんな感じで、キッチンと脱衣室と和室が完全無窓です。市街地の古い賃貸マンションなのでこのようなことはめずらしくはないのかもしれないですが、やはり気が滅入る原因になりますねー。昔の長屋がこんなふうになりがちだったのでしょうねー、古い言い方ですが『穴蔵』的な感じです。

 

次に、勝手にリノベプラン4について説明します。

トイレ・洗面・浴室はそのままとし、キッチンの給排水位置も変更していません。大家さんの立場にもちょっぴり寄り添って経済的・現実的に考えたからです。

リノベプラン4鳥瞰図

建具と家具で住まう人が好きなように仕切れる、フレキシブルな間取りにしました。

食事を作って食べるところ、眠るところ、PC作業するところ、洋服や靴とゴルフ道具と災害備蓄品を収納するところ、そして洗濯するところのスペースが確保できれば良いので、3LDKがこうなりました。

それから始めに書いたとおり、現状で最も困っていたところが開口部窓が東面だけなのに部屋は東西に長くなっているせいで、どの部屋も日照通風が悪すぎるという件だったので、それを解消するべくLDKを東側に長く配置して、残る居室は東西に長いままでも出来るだけいろんな方向から光が届くようにしました。

 

⭐︎玄関から見た景色⭐︎

リビングの扉は無くても、丸見えにはならないようにするのは簡単です。それより、そのおかげで東のわずかな明るさが玄関のあたりにまで届くようになるのと、より広々とした感じになるはずです。
暗さを軽減するのに脱衣室への扉や玄関扉に少しでも明かり取りガラスが入っているものにしました。

 

⭐︎ダイニングから見た景色⭐︎

 

 

⭐︎リビングから見た景色⭐︎

身長よりも低い棚でキッチンとエリアを分けるだけで、もともとの暗い行き止まりの独立キッチンよりもずっと明るく開放的になるんですよね。電源さえきちんと確保しておけば、棚にはスチームオーブン・トースター・自動調理器・ホームベーカリー・コーヒーメーカー・電気ケトルなど調理家電がズラりと設置できます。要するに最近は3口4口コンロなんかよりも充分な調理家電の設置スペースとそれに耐えうる電源が必須です。

 

⭐︎PC作業部屋から見た景色⭐︎

LDKとは引き戸で、寝室とは家具でエリアを何となく分けているだけで、東のわずかな明かりが広範囲に届くようにしました。
リビングにPCコーナーでも悪くはないのですが、やはりリビングから離して計画したほうが散らかりにくいなーと考えています。特にスマホタブレットなど充電場所やそのケーブルがリビング廻りに出しっぱなしになると掃除も面倒になりがちなので、PC関係は少し離して計画したほうが好みです。デュアルモニターで複数使っているのでよけいにそう思います。

 

⭐︎寝室から見た景色⭐︎

ウチはダンナさんがテレビっ子なので、寝室にはテレビとネット環境が必須。ベッドも就寝タイミングがバラバラなので各自必要。そうなるとよくある6畳間ではそれらの配置がかなり厳しい。昭和の昔は敷布団だったから6畳でも良かったのでしょうけどね。

 

その他には、玄関からそのまま直接納戸に入れて、寝室→ホールへと回遊できるので、リビングやダイニングに荷物が置きっぱなし、服が脱ぎっぱなしにならないのも気に入っています。
それに災害備蓄品も玄関の近くに保管できたら安心だし、他にも届いた荷物を一旦置いておくこともできるし、そこで開封して箱潰しすることもできたり、ベビーカーや車椅子などを入れておくのにも、玄関付近に広めの納戸若しくは玄関そのものが広いプランはあらゆる年代の人に喜ばれると思います。

 

最後に、ウチはテレビっ子がいるのでまあまあの大きさのテレビが2台あるのですが、この絵の通りテレビスタンドに買い替えたところ、コレが予想外に良かったんです。

もともとテレビは壁掛けがマストだと考えているのですが、さすがに賃貸では難しいのとDIYするほど気力も無いので、最低でもテレビスタンドにするのが良いと思います。

理由は、テレビ台はソファーやダイニングテーブルに次いで割と大型家具になるので、特に賃貸の場合狭い部屋では配置が困難になる場合が多く、最近はテレビとソファーなどの家具の距離が近くなり易い。
それに壁掛けやスタンドだとテレビ周りの掃除がとても簡単になるし、隠しキャスターが付いているので重いテレビの移動も楽々に。更に上下左右に画面を傾けることも可能で設置の可能性が広がります。

テレビやAV機器に関しても、家電芸人なみに喋りたいことがあるのですが、長くなるのでまた別の機会に書けたら良いなーと思いました。

 

購入したテレビスタンドは次の通りです。

正直言って安いです(2023.06現在、楽天:13,999円)、あまり期待してなかったのですが1台購入してみたところ我が家にはとても合っていたことが判明し、すぐに2台目を買い足しまして、このお陰でテレビ台(大型家具)を2台処分することができ、スッキリしました。

 

そこそこの時間を割いて図面や絵まで描いて想像を巡らしていたら、ちょっと気晴らしになったのは良かったのですが、そもそも現状は何ひとつ変わらないので相変わらず薄暗い我が家です…

最後まで読んでくださってありがとうございます。

 

 

爪甲剥離症が治った話し

両手の爪が指先から浮いて剥がれたようになる、爪甲剥離症になっていたのですが、発症から2年が過ぎ、現在ようやく元の爪の状態に治ったという話し。

 

治るまでにやったことはただ一つだけ。
皮膚科で処方された、タクロリムス軟膏とヒルドイドローションを2年間毎日一日も欠かさずしつこく手指に塗っただけ。

前半一年は良くなるどころか症状が進行し、ほぼ全ての手指爪が剥離したのでだいぶ凹みましたが、後半の3ヶ月は日に日に回復していったので、精神的にようやく救われた感じがしました
手や皮膚が荒れたりすると、やはり精神的に塞いでしまって参ってしまいますねー
というわけでこれは、中高年に起きた爪甲剥離症が発症してから治るまでの記録ですよ。

 


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2021年7月、左手中指の爪がデコボコして変形してきていたことに気がつく

そのまま放置してたら、爪が白くなり指先から剥がれるように隙間が広くなった

その頃には別の手指爪も同じように白くなり始めるところが出てきた

痛いわけでもなく何が嫌って、見た目がとにかく気持ち悪い状態になったこと
ネットで検索してみると、甲状腺機能亢進症の身体症状の一つに爪甲剥離があることが分かり、これは大変!だとめちゃくちゃ焦った
なぜなら、かれこれ20数年前にバセドウ病にかかり、入院手術をした経験が既にあったからだった

まさかの再発か!?ひぇー
あの時の悪い記憶が蘇るのでした

ゆーても既に甲状腺の2/3以上を摘出しているのに、ちょっぴり残っている甲状腺までもやられたということなのかっ!?
もしそうだとしたら、これは本気でヤバい
あの頃と違い中高年になってのこの病は、かなり状況が悪いだろうと思った

それから大慌てで皮膚科を探して受診した
発症から3ヶ月放置した2021年10月のことだった

 

そして予想通り、爪甲剥離症と診断された
しかし、血液検査の結果では甲状腺に異常は見られず正常値だったのでまずは安心できた
血液検査で予想外だったのは、亜鉛の数値がめちゃめちゃ低くなっていたことが分かった
亜鉛て…そんなものが体内にあるのかと、今更初めて知りましたよ
そして剥離の原因は、菌やカビのせいでは無いという診断で、結局(亜鉛以外で)直接の原因は不明ということに
よって、爪が完治するまでには結構な期間かかるだろうとの診断だった

 

その日からまずは亜鉛を補う投薬を始めたのと、指先の乾燥と炎症が酷いということで、保湿を重点的にやってみることになった

亜鉛は投薬を2ヶ月もすれば正常値に回復したが、そのまた2ヶ月後の血液検査で欠乏状態に戻ってしまったので、また投薬を再開し1ヶ月後には正常値に戻るとそれから先は大きな変化が見られなかったので安心した


しかし爪は良くなるどころかますます残念な見た目になってきていた
ちょうど年が明けて寒さと空気の乾燥が進み、爪の症状が悪化しやすい季節なのだそうで、
ワタシは超真面目に毎日毎日、塗り薬と保湿クリームを指先に塗り続けた
本当に毎日だった、一日も欠かさずしぶとく塗り塗り、塗り塗り…

 

運が悪かったのはコロナ禍だったこと
手指を洗ったりアルコール消毒液を使う回数がとにかく増えたので、保湿が追いつかず手指の乾燥が進む原因になってしまい一層治りが悪かったように思う

その頃の手指爪の状態は、ハイポニキウムと呼ばれる部分がほぼ全て無くなっていて、指先から爪甲中央にかけて3ミリ以上隙間が広がっており、爪が皮膚から浮いた状態になっていた
中には爪がそり返っておかしな形になってしまっているのもあった
ここに髪の毛やら細かいものが挟まって痛い時もあったし、2度ほど爪が途中から折れて半分剥がれてしまったこともあった
これがいちばん痛かった
そしてこの頃にはほぼ全ての指の爪が白くなっていた
何が嫌って、とにかく見た目がキモイので、精神的に凹みます orz
アクセサリーも辞めてしまって、手先を人に見せたくないという感じ

 

2022年7月、発症からまる一年
左手中指の爪のデコボコは無くなった
しかし、まだほぼ全部の爪が微妙に剥離したままで色も白い、隙間もまだある
この一年、毎日真面目に塗り薬と保湿を続けていたので、そのせいか甘皮が無くなった
これが良いのかどうかは知らんけど、恐らく甘皮が白くなるのは、指先を酷使するからではなくて実は乾燥が進んで硬く白くなるのではないかと思った
よって、ワタシの場合は保湿がうまく行っているので甘皮が無いように見えるのではないかなと
皮膚科では、親指の爪の生え際でネイルフォルドの辺りがまだぷっくりと腫れて炎症していのが見られると言われた
通常、ネイルフォルドから爪甲にかけてはなだらかに平らに繋がっているものらしく、言われてみればなるほどワタシのは確かにちょっと盛り上がって腫れているように見えた

 

それからさらに半年が過ぎ、2023年2月になると、爪の形がほぼほぼ正常に戻ってきていた


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嬉しくなって、さらに真面目に毎日毎日塗り薬と保湿クリームを塗るのを続けた、本当にこれだけは真面目に一日も欠かさず続けた

 

そして2023年6月、多分治った!
爪と指先の隙間は全く無くなり、爪の形は元通りになった
毎日真面目に続けた甲斐あってか、爪とその付け根は艶が出るほど潤いが戻っていて、カサカサしたようなささくれや乾燥がほとんど見られない

 

発症からまる二年が過ぎていた
やはり診断の通り、ここまで長かったー!
コロナ禍で手指の負担は増えたし
結局何が原因かわからなかったけど、
唯一思い当たるのは、そりゃまぁ中高年になったからなのかなぁと…
現在も塗り薬と保湿クリームは、暑さ寒さに関わらずひたすら毎日毎日続けている
自分がここまでひとつのことをしつこく継続してやる人間だったとはね、本当に知らなかったわ

 

というわけで、
まる二年塗り続けた薬は次の通り、皮膚科で処方してもらえるので、
これが誰かの参考になれば幸いです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 

タクロリムス軟膏0.1% イワキ

www.iwakiseiyaku.co.jp

 

ヒルドイドローション0.3%  マルホ

www.health.ne.jp

自己肯定感がまあまあ強めに育った人がする選択

前回、「自己肯定感がまあまあ強め」についての話しをしました。

そういう人は恐らくこれまで自分のやってきたことにこれといった不満が無く、後悔するということがほぼほぼ無いんじゃないかと感じています。
これが良いとか悪いこととか言うのではなくて、じゃあどうしてそういう「人生不満や後悔無しサイクル」になるのかという話し。

 

tsunowa.hatenablog.com

 

結論はとっても簡単で、「後悔しないための選択」をしているからです。
もっと言うと、今やらなかったら将来絶対後悔するかも(orしないかも)を基準に物事を選択しているということです。

 

え~そんなの当たり前じゃん

みんなやってるし

と、思うかもしれませんが本当に出来ていると言い切れますか?実はコレが案外むつかしくてやってるようでやっていないようですよ。もしかするとそれも今流行りの「自己肯定感」が低いことと繋がっているのかもしれないです。

簡単とは言いましたが実は訓練していないと、コレが結構簡単には行かないらしいということをワタシも最近理解したところです。

 

どういうことなのかというと、物事を選択する際人は少し先の未来(後悔)のことよりも現在の安定を選びがちだということ、それと基本的に人は絶対損はしたくないつまり損得が優先で物事を選びがちだということ、それだから簡単ではないのです。

 

これを知ってなるほどーそういうことなのかと理解しましたよ。

だってね、後悔はもう元に戻れないけど損は取り返せるという考えを持っているワタシにとってはちょっと驚きましたからね。
「後悔しないための選択」よりも「損しない選択」のほうが優先されるんだということを今更ながら聞いて理解できました。
なるほどー、おもしろいですよね。

 

だけれども、ワタシもはじめっから後悔無しサイクルだったわけではありませんよ。
若いころに「あーー、こんなことならあのときやっとけば良かったー」っていう体験を何度か繰り返した結果たどりついただけなんです。

何かの選択に迫られたときは中長期的に考えて後悔しない道を選択する、これが自分にとって精神衛生上最適な方法だと分かったんです。
勿論その際とりあえず何もしない(現在の安定)っていう選択もありますよね、ですがそれ自体が後悔に繋がらないのかと考えてしまうんですよねー。ビョーキですかね?それくらい後悔したくないんですよね、だって戻れないから。


勿論その時々の内容にもよるんですけれど、要は人の意見に惑わされないような自分のモノサシというか基準になるものがひとつあれば、迷ったり失敗したりすることが徐々に少なくなっていって、そのようなプチ成功体験を繰り返すうちに自己肯定感がそこそこ強い人に仕上がり、気が付けば「人生不満や後悔無しサイクル」になっているのではないかと思いました。

 

もう少し細かいことを言うと、「損する」とはどういうことかとよくよく考えたら「失う」とはちょっと違っていて、既に持ってるものを失くすことではなくてこれから得られたかもしれない利益が得られないっていうニュアンスなんですよね。(えーかげんなワタシ辞典)

 

ということはですよ、損することを心配するということは、起きてないところで(起きる前から)考えてしてしまっているかもしれないことになるので、必然的に「現在の安定」を選択しがちになるんじゃないですかね。損するくらいなら何もしないでおこうって。

そのようにして「現在の安定」を選択した場合、確かに「損する」ことはないかもしれませんが(増えても減ってもない状態)、やっぱり「後悔」はしないとは言い切れませんよね。


あと、得したいという人の気持ちはよくわかるのですが、個人的には得することよりも後悔しないことのほうが精神衛生的に優先順位高いですね。
なぜなら得したか損したかどうかというのは結局何かと比較してはじめて気が付くことであって、そもそも後から取り返せるものと考えているのでダメージが〇←コレくらい(どれくらい?!)だったとして、後悔については自分以外誰にも気づかれず自分自身にズッシリと精神的な重いダメージがあるような気がしています。だって戻れないですからね。

 

以上のことをまとめると、記号で表すなら

 

「後悔しない選択」>「現在の安定」>「損得で選択」

 

と言う結果になりました。あくまで個人の主観ですけど。

あらゆる人が自由にあらゆる選択ができる社会が理想です。
これが誰かの何かの参考になれば幸いです。

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

自己肯定感がまあまあ強めに育った理由の話し

私の母親が教えてくれたことで、今思えば1つだけ(だけって)とても良かった、助かったなと思えることがある。

それは何かというと、
「人は人」っていう言葉。
これってすごく簡単な言葉のように聞こえるのだけど、まともに理解するのには時間がかかったように思う。

 

ワタシが幼少の当時から母親が、泣きわめくワタシに呪文を唱えるように言い聞かせていた言葉でありこれが意味しているのは、
「人は人、あなたはあなた。だから自分を他人と比べるべるべきではない」
ということなんですね。

これによってワタシに何が起こったのかというと、今流行りの「自己肯定感」というやつが、まあまあ強めの人に育っていたという話し。(マジか)

 

幼い頃の私は普通に
「〇〇ちゃんが持ってるのに私は買ってもらえないー!」とか、
「なんであの家の子はそれができてウチはできないのかー?」とか
羨ましい妬ましい気持ちを母親にブンブンぶつけてギャンギャン言うことはしょっちゅうやっているお子様でした。

そのたびに母親から
「人は人!ウチはウチ。」
と言い聞かせられた。

このあしらい方、イラっとするわ(^^;
当時も多分、更に「ムッキー!!」ってなっていたとは思う。

しかし、毎度毎度、何度も何度も、何年たとうがずうーーっと母親からワタシはそう言われ続けて育ってきたもんだから、気が付けば他人に対して羨ましがったり比べたりしなくなった、というかそもそも他人に興味が薄いという習性を身につけていて(良いのか?)、それよりもワタシレベルで自分が楽しいことやできることを探して見つけて、それを手に入れたり達成することのほうが簡単だし面白くなって、毎日忙しくなったように思う。

 

そうするうちに、自分レベルでそこそこ要領が良くなってきて、たいして頭は良くないし大学も出てないけれど、国家資格も複数取れたし、建築の仕事は天職なんじゃないかと勘違いするほど没頭できたし、30代で小さい会社の取締役に任命されてますます仕事が面白くなり、海の見える高台に建つ小さな部屋を借りて自由な独り暮らしが何年もおくれたりして、当時のワタシレベルの欲しいモノならいつでも直ぐに買えるだけの十分な収入もあったし、自分が選んだ道がその当時の自分にとってはちょうどよく最適で、ハズレ無く、毎日自由で楽しくやってこれたという。

 

しかし、大病を患った時期もありました。

ゴリゴリに仕事に没頭していた29歳のとき、予兆があったのに無視し続けていたらある日突然目の前が真っ暗になりまして、検査を重ねた結果手術をして一か月入院した後、更に数か月仕事を休むハメになり、その治療の為の薬を1年間飲んだ時期があった。

だけどそのおかげで健康に注意するように考えや生活を変えることができたし、病床手当金や高額療養費制度など公的な手続きを知ることができたのも良かった。
そして最終的には長引くこともなく寛解することができた。

 

大成功を成し遂げた立派な人に比べたら、ワタシなんぞこれと言って何ひとつスゴイことはないのだけれども、これまでの人生において不満という不満はないって言い切れるのです。

だって「人は人、自分は自分」そう思ってしたいようにやってこれたのだから。

 

でね、ワタシは自慢したいのでもなんでもなくて、そもそも人様に自慢できるようなり立派なものなど何一つ持ってないので、ここで何が言いたいのかというとですね、

「人は人」これに尽きますよと。

 

他人と自分を比較したらそりゃいろいろあります、当たり前です。
自分より美しいとか自分よりめっちゃ天才とか、自分よりお金持ちとか。
或いは、自分よりシンドイとか自分より運が悪い人や家庭環境の人だっているわけですよ。とにかくありとあらゆる点が人と自分は違うわけです。
下とか上とか横とか斜めとか思うところはいろいろあるし、とにかくみんなみんな人と違う。
これ当たり前ですよ、だからそういうことを考えるだけ時間の無駄だし何一つ良いことはない。
アノヒトより悪いとかアノヒトよりマシとか、どっちにしろ良い考えではない。
だったら始めから考えないのが良いし、比較しないのが良いんです。
するとなんということでしょう、自己肯定感が低いって何??ってなります、はい。

 

あなたはあなたであって誰にもないだからおもしろい=ワタシっておもしろい。
どうしようもないことに時間と神経を使わずに、自分にできることやりたいこと、自分の幸せや豊かになるために、毎日を楽しんだら良い。

きっとね、どの親もそう思って子育てしているんだと思うんだよね。

「人は人」ホントこれに尽きます、お勧めです。

 

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございます。

手に入れて満足するよりも幸福度が高いのでお勧めたい話し。

もう5か月前のことですが、またも夫に辞令があって県外へ引越ししました。
2018年4月、2019年4月、そして2021年5月、これで引越し3度目です。

 2018年の内容ですが・・・↓↓

tsunowa.hatenablog.com

 

現在は、みんな大好き“博多区“の住民になりました。
しかし、恐らく1~2年でまた転勤・引越しは確実なんですよね。。。


10月31日は衆議院議員選挙がありましたが、今回は住民登録から3か月経過してるのでフツーに福岡で投票ができました。
というのも、以前にあった選挙では当時新しい住民登録から日が浅かったので、前の住所地での投票を新住所で行うことになり、選挙管理委員会不在者投票請求書・宣誓書を出して投票用紙を請求して・・・まあまあ面倒な投票をしましたよ。
選挙で投票に行くのは、候補者について下調べも含めるとソコソコ面倒な作業が多いですよね。ですが、わたしはどんなに面倒でも必ず選挙に行こうって決めているんです。

 

今回、引越しが決まって(近い将来4度目があると予想して)考えたのが、
このタイミングに持ち物を見直して減らしてみようという”断活”でした。

具体的に何を見直したのかというと、まずは洋服・バッグ・靴たちです。
ひとつひとつ向き合って1軍だけを残した結果、洋服+バッグ+靴でだいたい1/3程度まで減らせました。けっこうな量を処分しましたよ。その他にはキッチン廻りであまり使っていない器具や食器類、ふるくなってきた家電などもこの機会に処分し、無い生活を過ごしてみてからまたどうしても必要なら新しい製品を買ったら良いやと考えました。

処分の方法は主に3つ。
①ブランド品は楽天の買取り店へ送り、それ以外はセカンドストリートブックオフへ持ち込んだ
②欲しいという友人に譲った
③それ以外のものは処分業者に引き取りに来てもらった


で、こうして身に着けるものなどをいっぺんに減らすと何が起こるのかというと、収納用の引き出しケースや入れ物が空っぽになって結構余りましたね。

ワタシはこれまで当たり前にクローゼットや押し入れの中は、整理しやすいように同じ種類の収納ケースを並べて積んでカテゴリー別にして収納をしていました。
いわゆる『開けても(見えても)美しい収納』を心がけていたつもりです。

でもね、気付いたんですよ。

『開けても(見えても)美しい収納』って、究極は『空っぽな収納』ってことなんですよね。(個人の考えです)
同じ収納ケースが整然と並んでいるのではなく、なーんにも無い空間とか余白そのものがスッキリ気持ちが良くて実は最も美しい状態なんじゃないかなと。
よくネットやピンとかで、クローゼットやキッチンの収納や棚に白く眩しい収納ケースがズラリと並べられひとつひとつにラベリングなんかもしてあって・・・というような、美しいDIYインテリアの画像を見かけるのですが、一見確かに美しいとは思うのですがちょっと窮屈に感じるんですよね、モノの圧が迫って見える感じ。
感じ方や好みは人それぞれなので、こだわりをもって苦労して作り上げる人を批判するつもりは全くないのですよ、本人が幸せを感じるのならそれで。
そもそもそういうインテリアを作ることができる人には、それに協力してくれている家族やメンバーが周りににいるということですからね、それはとても大切なことです。
けれども、最近は余白こそ美しいと感じる人が結構増えているような気がしますね。ミニマルとかミニマムやミニマリストなどといった言葉も結構見かけるし。

というわけで、今までリビングや室内の見える場所は余白多めにはしてきたつもりですが、むしろ誰にも見えない収納こそ空っぽとまではいかないですが、余白多めでスカスカにするほうが最も美しいうえに、手入れや掃除がしやすいし、何より身軽になることで引越しも楽になるし、これならいつでも死ねるとわかりました。(←ココだいじです)

そうして断活してみて余った収納ケースというのが主に、みんな大好き”無印良品”のポリプロピレンクローゼットケース。こんなによく買ったなーと自分ながら感心しましたね。本当に今までお世話になりました。
普通は自治体で処分するのに1つにつき300円~500円程度の処分費がかかります、大型ごみになるので。
ワタシの場合は先ほど書いた通り、料金を支払って処分業者さんに引き取り依頼をしていたので一括して引き取ってもらいました。
このことを友達に話すと、「無印のケースなら貰うんだったのに!」と随分怒られましたねー。
クローゼットやモノを収納するための入れ物がゴミになる日を経験したら、もうモノを増やしたくないって気持ちに生まれ変わりますよ本当に。
だから友達にも将来ゴミになる収納ケースを譲ったりしたくなかったんです。それに入れ物(収納)が増えれば、きっと友達の家も今よりモノが増えることになるだろうし。

このようにして一度大きな断活をすると、次に何が起こるのかというと、
ショッピングモールなどへ出かけて散々歩き回って触って眺めて、結局買わずに帰ってくるということがしょっちゅう起こります。
マイバッグも準備し事前に買いたいモノを決めたうえで出かけたとしてもそうだし、Amazon楽天で一旦は買い物かごへ入れたのに、いや待てよ、

「ま、無くても死ぬわけではないわ」とか
「あるもので代用できるか」とか
「あったら嬉しいけど、やっぱりモノを増やしたくないかも」
とか、考えるようになったんですね。そして結局買わない。
これって泣く泣く我慢してそうしたって感じではないんですよ、どうするのが満足できて幸せになるのか合理的に判断した結果なんです。

 

要するに『直ぐに買わない生活』をするようになるってわけです。

全く何も買わないという意味ではないですよ、直ぐ買って解決しようとしなくなるんです。
これまでだって何も考え無しに次々と買い物をしてきたわけではないですが、今までより更に深く論理的に考えてみて、長期的な視点で本当に必要かどうかを決めるようになったということです。

そのようにして結局何も買わずに帰ってきて、後悔は全く無くてむしろすごく満足するし気持ちが良かったりするんですね。

つまり、『手に入れて満足』するのよりも『何も買わずに満足』のほうが、より幸福度が高い気がするんですよねー。
これって、きっと体験した人にしかわからないのかもしれませんが、こういう感じ是非お勧めしたいです。

 

さて、ここからが本題なんですが(今から!?って感じですが、、、)
この前10月15日にその『何も買わずに満足』という幸福感を実感したっていう話し。

 

どういうことがあったのかというと、

アディダスマリメッコがコラボしたデザインのスニーカーやウェアがその日に限定販売が決まっていて、とてもかわいくて魅力的な商品でマリメッコだし、多分今しか買えないデザインで貴重だしなどと(買う理由を)考えて、ワタシもスニーカーが欲しいなーとか思ってその日までネットの画面を眺めていました。

その当日朝10:00ネットショップで販売開始と同時に、予想通り秒であらゆる商品が次々と完売していく中、ワタシが欲しかったスニーカーについては運よくポチっと買い物カゴへ入れることができ、直ぐに決済画面に進んで必要事項も自動入力して後は注文ボタンを押すだけ、というところまでサクサク進めたところ・・・押さなかったんです、結局やめちゃったんですよね。
すると数分後にはもうカゴにも入れられないしレディースサイズは完売になりましたね。27㎝以上のメンズサイズは残っていましたけど。女子にどれだけマリメッコの人気が高いのかわかりますね。

多分、買って手元に届いたら『手に入れて満足』したはずなんです。
だけど実際は手に入れてないけど『何も買わずに満足』という幸福感のほうがより大きいということを間違いなく実感できたんですよね。


後日、ネットで「アディダスマリメッココラボ手に入れました!」という記事を偶然読みましたよ。
スゴイです、ウェアからバッグやシューズなど子供とお揃いで2つずつ購入したよというような自慢の内容でした。商品の画像も確かに魅力的でした。

他人の否定をするつもりは全く1ミリもないのですが、一瞬、

”来年それら一式を身に着けた親子って見かけるのかな??”

とちょっと思ったりしました。
欲求は人それぞれなんですよね、ワタシもはじめは欲しいなってちょっと考えたわけですからね。
ワタシのようにひねくれて考えるのではなくて、普通はそういう記事を読んで多数の人の欲求を刺激し、更にモノが売れるというマーケィングが成立しているんだろうなと。(案件という場合もあるでしょうけどわかりません)
アディダスマリメッコもとてもとても魅力的なデザインです。


ワタシもアレコレ欲しいなーとか、あったら便利だなーとかはちょくちょく考えるんです。だけど結局は買わないことが多くなっています。
無くても幸せならそれが良いなー、心地良いなーと気付いたからというのもあるし、そもそも必要なモノはほぼ全て揃っているんですよねー。より心地よく豊かになるためにどうするかっていうことなんです。

 

数か月後、やっぱりスニーカー買っておけば良かった!と後悔したとしたら、自分が間違ってたということになるだろうけども、こういう一時的な欲求って恐らくなら数か月後は忘れてたりする気がしますねー。いまのところは後悔全く無しです。
結局お気に入りの、何年も前に買ったCAMPERの白いスニーカーを磨いては大事に履いています。必要なモノは持っているから。


これからは、こういうことの積み重ねなんだろうなーと思いましたよ。

 

以上です。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

ちきりんさんのVoicy(2021/08/16 #314)を聞いて

それ~~わかるわ~~~~!?と唸ったので、その話し。

 

voicy.jp

 

結局は価値観の違いの問題なんだろうと思う。
とにかくケチとかトクとか、物事を選択する際にお金で比較してお得になる手段を選択するっていう人。
ちきりんさんはVoicyの中で、”関西人は・・・”と仰っていたんだけども、多分何処人でもあって、育った環境というか家族とか親の職業・考え方・教育のせいなんだろうと。
中でもとくに、母親(など幼少期から最も長く一緒にいた人物)の影響が大きいはず。
それが良いとか悪いとかそういう意味では決してなくて、単に人の価値観(の基盤)に影響するものは何かと言えば、そうなるよねっていうことです客観的に。

 

さて、わたしの女子友達の話し。
彼女は実家が飲食業ということもあってか、趣味は食べ歩きと旅行で、料理や食にまつわるさまざまなことに結構詳しくてこだわりをもっている。要するにうるさいw。
その彼女はわたしや友達にしょっちゅう”最近のお勧め品”を紹介したりお披露目してくれるんですね。
少し前にお勧めしてくれたものに、野菜サラダ用ドレッシングがあって、近所のスーパーやコンビニでも手に入るサイズ(180ml)で数百円という安さで、みんなけっこう好きな味だと思う。
ある日彼女と二人で買い出しに食料品売り場へ出かけたときのこと、ソースやドレッシングの棚の前に来て思い出したので「このドレッシング美味しいね。何回か続けて買って食べてるよ。今日これ買おう!」と彼女に話したら、

 

「そうでしょー?ほんと美味しいよね。だけどちょっと待って。普通にここらで買うよりも、アマゾンで業務用サイズが安く売ってるからそっちのほうが絶対おトク!だからアマゾンで買ってよ。スーパーのはサイズが小さくて割高だから結局損することになるよ。そんなの絶対もったいない。」

 

と言って、結局その日は買わせてもらえなかったという話しです。


業務用サイズのドレッシングって1000mlもあって、見た目がけっこうな存在感になるんですよね。よくコストコで売っているあのデカイ調味料シリーズの感じ。

初めてコストコ行ったときは、そういうビッグサイスの食品が珍しくて楽しく見えたのだけど、実際1~2人暮らしの家庭には有り余る分量だし、結構邪魔になるサイズ。
以来わたしはコストコで買い物はしないんです。実際そんなに大量に必要なものなんてないし、結局単にお金の使い過ぎになるし。

業務用サイズのドレッシングって、わたしにとってはいつ使い切ることができるのかわからないサイズ感で、その期間冷蔵庫の中にずっとアレが鎮座することになるのかーってそっちを想像してしまう。
そのうちフタのところがドロドロになったりね・・・(^^;
それよりなにより、わたしにとっては食卓にそのまま出したくないサイズ感なんですね、要するに見た目が微妙なんです。

彼女にとって数百円の損が、わたしにとっては冷蔵庫のスペース・見た目を考えたら損してるとは思えないんですよねー。


何かモノを選択するときの考え方で、金額で比較するのではなくて、自分にとってどれがより快適で気持ちが良いものなのかが重要だと思っていて、それが多少金額が高くなったとしても、安く買ってモヤモヤが残るよりは気分が良い。
だけどこれって意外と理解されにくいことが多かったりするんですよ。
そう、これが価値観の違いなんでしょう。
彼女とは30年くらいの付き合いになるんだけど、あらゆる点で価値観にズレがある。
もうこの歳になってもめっちゃズレているから、きっとこの先もずーっとズレまくるんだろうなーと思う。
オモシロイですね!

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。