もう5か月前のことですが、またも夫に辞令があって県外へ引越ししました。
2018年4月、2019年4月、そして2021年5月、これで引越し3度目です。
2018年の内容ですが・・・↓↓
tsunowa.hatenablog.com
現在は、みんな大好き“博多区“の住民になりました。
しかし、恐らく1~2年でまた転勤・引越しは確実なんですよね。。。
10月31日は衆議院議員選挙がありましたが、今回は住民登録から3か月経過してるのでフツーに福岡で投票ができました。
というのも、以前にあった選挙では当時新しい住民登録から日が浅かったので、前の住所地での投票を新住所で行うことになり、選挙管理委員会へ不在者投票請求書・宣誓書を出して投票用紙を請求して・・・まあまあ面倒な投票をしましたよ。
選挙で投票に行くのは、候補者について下調べも含めるとソコソコ面倒な作業が多いですよね。ですが、わたしはどんなに面倒でも必ず選挙に行こうって決めているんです。
今回、引越しが決まって(近い将来4度目があると予想して)考えたのが、
このタイミングに持ち物を見直して減らしてみようという”断活”でした。
具体的に何を見直したのかというと、まずは洋服・バッグ・靴たちです。
ひとつひとつ向き合って1軍だけを残した結果、洋服+バッグ+靴でだいたい1/3程度まで減らせました。けっこうな量を処分しましたよ。その他にはキッチン廻りであまり使っていない器具や食器類、ふるくなってきた家電などもこの機会に処分し、無い生活を過ごしてみてからまたどうしても必要なら新しい製品を買ったら良いやと考えました。
処分の方法は主に3つ。
①ブランド品は楽天の買取り店へ送り、それ以外はセカンドストリートやブックオフへ持ち込んだ
②欲しいという友人に譲った
③それ以外のものは処分業者に引き取りに来てもらった
で、こうして身に着けるものなどをいっぺんに減らすと何が起こるのかというと、収納用の引き出しケースや入れ物が空っぽになって結構余りましたね。
ワタシはこれまで当たり前にクローゼットや押し入れの中は、整理しやすいように同じ種類の収納ケースを並べて積んでカテゴリー別にして収納をしていました。
いわゆる『開けても(見えても)美しい収納』を心がけていたつもりです。
でもね、気付いたんですよ。
『開けても(見えても)美しい収納』って、究極は『空っぽな収納』ってことなんですよね。(個人の考えです)
同じ収納ケースが整然と並んでいるのではなく、なーんにも無い空間とか余白そのものがスッキリ気持ちが良くて実は最も美しい状態なんじゃないかなと。
よくネットやピンとかで、クローゼットやキッチンの収納や棚に白く眩しい収納ケースがズラリと並べられひとつひとつにラベリングなんかもしてあって・・・というような、美しいDIYインテリアの画像を見かけるのですが、一見確かに美しいとは思うのですがちょっと窮屈に感じるんですよね、モノの圧が迫って見える感じ。
感じ方や好みは人それぞれなので、こだわりをもって苦労して作り上げる人を批判するつもりは全くないのですよ、本人が幸せを感じるのならそれで。
そもそもそういうインテリアを作ることができる人には、それに協力してくれている家族やメンバーが周りににいるということですからね、それはとても大切なことです。
けれども、最近は余白こそ美しいと感じる人が結構増えているような気がしますね。ミニマルとかミニマムやミニマリストなどといった言葉も結構見かけるし。
というわけで、今までリビングや室内の見える場所は余白多めにはしてきたつもりですが、むしろ誰にも見えない収納こそ空っぽとまではいかないですが、余白多めでスカスカにするほうが最も美しいうえに、手入れや掃除がしやすいし、何より身軽になることで引越しも楽になるし、これならいつでも死ねるとわかりました。(←ココだいじです)
そうして断活してみて余った収納ケースというのが主に、みんな大好き”無印良品”のポリプロピレンクローゼットケース。こんなによく買ったなーと自分ながら感心しましたね。本当に今までお世話になりました。
普通は自治体で処分するのに1つにつき300円~500円程度の処分費がかかります、大型ごみになるので。
ワタシの場合は先ほど書いた通り、料金を支払って処分業者さんに引き取り依頼をしていたので一括して引き取ってもらいました。
このことを友達に話すと、「無印のケースなら貰うんだったのに!」と随分怒られましたねー。
クローゼットやモノを収納するための入れ物がゴミになる日を経験したら、もうモノを増やしたくないって気持ちに生まれ変わりますよ本当に。
だから友達にも将来ゴミになる収納ケースを譲ったりしたくなかったんです。それに入れ物(収納)が増えれば、きっと友達の家も今よりモノが増えることになるだろうし。
このようにして一度大きな断活をすると、次に何が起こるのかというと、
ショッピングモールなどへ出かけて散々歩き回って触って眺めて、結局買わずに帰ってくるということがしょっちゅう起こります。
マイバッグも準備し事前に買いたいモノを決めたうえで出かけたとしてもそうだし、Amazonや楽天で一旦は買い物かごへ入れたのに、いや待てよ、
「ま、無くても死ぬわけではないわ」とか
「あるもので代用できるか」とか
「あったら嬉しいけど、やっぱりモノを増やしたくないかも」
とか、考えるようになったんですね。そして結局買わない。
これって泣く泣く我慢してそうしたって感じではないんですよ、どうするのが満足できて幸せになるのか合理的に判断した結果なんです。
要するに『直ぐに買わない生活』をするようになるってわけです。
全く何も買わないという意味ではないですよ、直ぐ買って解決しようとしなくなるんです。
これまでだって何も考え無しに次々と買い物をしてきたわけではないですが、今までより更に深く論理的に考えてみて、長期的な視点で本当に必要かどうかを決めるようになったということです。
そのようにして結局何も買わずに帰ってきて、後悔は全く無くてむしろすごく満足するし気持ちが良かったりするんですね。
つまり、『手に入れて満足』するのよりも『何も買わずに満足』のほうが、より幸福度が高い気がするんですよねー。
これって、きっと体験した人にしかわからないのかもしれませんが、こういう感じ是非お勧めしたいです。
さて、ここからが本題なんですが(今から!?って感じですが、、、)
この前10月15日にその『何も買わずに満足』という幸福感を実感したっていう話し。
どういうことがあったのかというと、
アディダスとマリメッコがコラボしたデザインのスニーカーやウェアがその日に限定販売が決まっていて、とてもかわいくて魅力的な商品でマリメッコだし、多分今しか買えないデザインで貴重だしなどと(買う理由を)考えて、ワタシもスニーカーが欲しいなーとか思ってその日までネットの画面を眺めていました。
その当日朝10:00ネットショップで販売開始と同時に、予想通り秒であらゆる商品が次々と完売していく中、ワタシが欲しかったスニーカーについては運よくポチっと買い物カゴへ入れることができ、直ぐに決済画面に進んで必要事項も自動入力して後は注文ボタンを押すだけ、というところまでサクサク進めたところ・・・押さなかったんです、結局やめちゃったんですよね。
すると数分後にはもうカゴにも入れられないしレディースサイズは完売になりましたね。27㎝以上のメンズサイズは残っていましたけど。女子にどれだけマリメッコの人気が高いのかわかりますね。
多分、買って手元に届いたら『手に入れて満足』したはずなんです。
だけど実際は手に入れてないけど『何も買わずに満足』という幸福感のほうがより大きいということを間違いなく実感できたんですよね。
後日、ネットで「アディダス・マリメッココラボ手に入れました!」という記事を偶然読みましたよ。
スゴイです、ウェアからバッグやシューズなど子供とお揃いで2つずつ購入したよというような自慢の内容でした。商品の画像も確かに魅力的でした。
他人の否定をするつもりは全く1ミリもないのですが、一瞬、
”来年それら一式を身に着けた親子って見かけるのかな??”
とちょっと思ったりしました。
欲求は人それぞれなんですよね、ワタシもはじめは欲しいなってちょっと考えたわけですからね。
ワタシのようにひねくれて考えるのではなくて、普通はそういう記事を読んで多数の人の欲求を刺激し、更にモノが売れるというマーケィングが成立しているんだろうなと。(案件という場合もあるでしょうけどわかりません)
アディダスもマリメッコもとてもとても魅力的なデザインです。
ワタシもアレコレ欲しいなーとか、あったら便利だなーとかはちょくちょく考えるんです。だけど結局は買わないことが多くなっています。
無くても幸せならそれが良いなー、心地良いなーと気付いたからというのもあるし、そもそも必要なモノはほぼ全て揃っているんですよねー。より心地よく豊かになるためにどうするかっていうことなんです。
数か月後、やっぱりスニーカー買っておけば良かった!と後悔したとしたら、自分が間違ってたということになるだろうけども、こういう一時的な欲求って恐らくなら数か月後は忘れてたりする気がしますねー。いまのところは後悔全く無しです。
結局お気に入りの、何年も前に買ったCAMPERの白いスニーカーを磨いては大事に履いています。必要なモノは持っているから。
これからは、こういうことの積み重ねなんだろうなーと思いましたよ。
以上です。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。