つのわのブログ

さまざまな良いデザインと住まいや身の回りについてのアレコレです。

自己肯定感がまあまあ強めに育った理由の話し

私の母親が教えてくれたことで、今思えば1つだけ(だけって)とても良かった、助かったなと思えることがある。

それは何かというと、
「人は人」っていう言葉。
これってすごく簡単な言葉のように聞こえるのだけど、まともに理解するのには時間がかかったように思う。

 

ワタシが幼少の当時から母親が、泣きわめくワタシに呪文を唱えるように言い聞かせていた言葉でありこれが意味しているのは、
「人は人、あなたはあなた。だから自分を他人と比べるべるべきではない」
ということなんですね。

これによってワタシに何が起こったのかというと、今流行りの「自己肯定感」というやつが、まあまあ強めの人に育っていたという話し。(マジか)

 

幼い頃の私は普通に
「〇〇ちゃんが持ってるのに私は買ってもらえないー!」とか、
「なんであの家の子はそれができてウチはできないのかー?」とか
羨ましい妬ましい気持ちを母親にブンブンぶつけてギャンギャン言うことはしょっちゅうやっているお子様でした。

そのたびに母親から
「人は人!ウチはウチ。」
と言い聞かせられた。

このあしらい方、イラっとするわ(^^;
当時も多分、更に「ムッキー!!」ってなっていたとは思う。

しかし、毎度毎度、何度も何度も、何年たとうがずうーーっと母親からワタシはそう言われ続けて育ってきたもんだから、気が付けば他人に対して羨ましがったり比べたりしなくなった、というかそもそも他人に興味が薄いという習性を身につけていて(良いのか?)、それよりもワタシレベルで自分が楽しいことやできることを探して見つけて、それを手に入れたり達成することのほうが簡単だし面白くなって、毎日忙しくなったように思う。

 

そうするうちに、自分レベルでそこそこ要領が良くなってきて、たいして頭は良くないし大学も出てないけれど、国家資格も複数取れたし、建築の仕事は天職なんじゃないかと勘違いするほど没頭できたし、30代で小さい会社の取締役に任命されてますます仕事が面白くなり、海の見える高台に建つ小さな部屋を借りて自由な独り暮らしが何年もおくれたりして、当時のワタシレベルの欲しいモノならいつでも直ぐに買えるだけの十分な収入もあったし、自分が選んだ道がその当時の自分にとってはちょうどよく最適で、ハズレ無く、毎日自由で楽しくやってこれたという。

 

しかし、大病を患った時期もありました。

ゴリゴリに仕事に没頭していた29歳のとき、予兆があったのに無視し続けていたらある日突然目の前が真っ暗になりまして、検査を重ねた結果手術をして一か月入院した後、更に数か月仕事を休むハメになり、その治療の為の薬を1年間飲んだ時期があった。

だけどそのおかげで健康に注意するように考えや生活を変えることができたし、病床手当金や高額療養費制度など公的な手続きを知ることができたのも良かった。
そして最終的には長引くこともなく寛解することができた。

 

大成功を成し遂げた立派な人に比べたら、ワタシなんぞこれと言って何ひとつスゴイことはないのだけれども、これまでの人生において不満という不満はないって言い切れるのです。

だって「人は人、自分は自分」そう思ってしたいようにやってこれたのだから。

 

でね、ワタシは自慢したいのでもなんでもなくて、そもそも人様に自慢できるようなり立派なものなど何一つ持ってないので、ここで何が言いたいのかというとですね、

「人は人」これに尽きますよと。

 

他人と自分を比較したらそりゃいろいろあります、当たり前です。
自分より美しいとか自分よりめっちゃ天才とか、自分よりお金持ちとか。
或いは、自分よりシンドイとか自分より運が悪い人や家庭環境の人だっているわけですよ。とにかくありとあらゆる点が人と自分は違うわけです。
下とか上とか横とか斜めとか思うところはいろいろあるし、とにかくみんなみんな人と違う。
これ当たり前ですよ、だからそういうことを考えるだけ時間の無駄だし何一つ良いことはない。
アノヒトより悪いとかアノヒトよりマシとか、どっちにしろ良い考えではない。
だったら始めから考えないのが良いし、比較しないのが良いんです。
するとなんということでしょう、自己肯定感が低いって何??ってなります、はい。

 

あなたはあなたであって誰にもないだからおもしろい=ワタシっておもしろい。
どうしようもないことに時間と神経を使わずに、自分にできることやりたいこと、自分の幸せや豊かになるために、毎日を楽しんだら良い。

きっとね、どの親もそう思って子育てしているんだと思うんだよね。

「人は人」ホントこれに尽きます、お勧めです。

 

 

最後まで読んで下さって、ありがとうございます。