美しいリモコンとは、裏側まで完璧なデザインなのです
リモコンのはなしです。
家電製品を選ぶ際の基準のひとつ
家電製品を選ぶ時の基準なのですが、まずは当然見た目、デザインはとても重要ですね。
ずっと以前から気になっていることがあるのですが、その「リモコン」ですよ。
作っている人にはとても申し訳ないのだけれど。その最たるのはテレビやオーディオのリモコン。正直言って、見えるところに置いておきたくない。
なのでウチではひっくり返して裏側を上にして置いたりしていますよ。
ボタンが無いからまだマシかと。
確かに、子供からお年寄りまでみんなが使いやすいようにした結果なのかもしれないけれど、既に誰もが気づいているように「ほとんど押したことがないボタンが多い」し「文字がやたら多い」のですよね。
例えば主電源。
他のボタンより大きいサイズにして赤色にして目立たせたうえに「電源」というテキストまでついている。(作った人スミマセン)
文字が多いのは説明が要るからなのだと思う。けれどそれってそもそも文字が無いと使えないのか、使えないかも?って予想してのことなんじゃないかなーと。
このように物事をウダウダ考えたりしていてよく、「もっとなんとかならんのかいー?」(›´Д`‹ )と独り言を言ったりする毎日です。
美しいリモコンは邪魔にならない
テレビはいっぱいボタンが必要なのだろうな・・・とシブシブ諦めつつ、現在家の中でわたしが気に入っているリモコンたちがこちらです。
ね、どれもスッキリデザインですよ。
仮に『ビッグスリー』と呼びますよ。
テーブルに置いていても全く邪魔にならないデザイン。
しかもニクイのは、どれも裏側まで気を抜いていないところ。
それがこちらです。
最初にわたしは「テレビのリモコンを裏側にして置いている」と言いましたが、時々そうしているとそれに気づいた誰かが表向きに直したりするのですね。多分親切心からでしょう、わざと裏向きにしているなんてきっと思わないだろうし。
ところがビッグスリーは違います。
このスッキリデザインだと裏側にひっくり返っていても気にならないのですね。
つまり何が言いたいのかというと、裏側も表なのですよ。
美しいデザインはどこから見ても美しいし、よく考えられているものなのですね。
更にビッグスリーの最も良いところは、これくらいスッキリしたボタンなのに使うのに初めから全く困らないということ。テキストなど説明が無くてもパっと見て触っただけで使い方が予測できるデザインになっているというところです。
最終的には音声認識機能
近い将来はきっとリモコン類は必要ではなくなるとは思うのだけど、理想はやっぱりスマートスピーカーのような機能ですからね。
「テレビ点けて」や「エアコンの温度下げて」など、全て音声認識ができれば良いわけですから。
SF映画だとちょっと考えるだけで思い通りに動いたりする・・・そこまでいくといろいろ問題も多そうですけどね。
けれど理想は音声認識ができたとしても、是非手元に置いておきたいくらいの美しくて使いやすいデザインのリモコンが.....あっても良いんじゃないかなと勝手に思うわけです。
最後に「ビッグスリー」について
上の画像ですが左から順に、
ビッグⅠ:プラスマイナスゼロ リビングファン(扇風機)
ビッグⅡ:Aamazon fire TV
ビッグⅢ:Bowers & Wilkins Zeppelin (ツェッペリン)
それぞれうんちくを書いておきます(勝手に)。
ただし、現在は新型モデルが続々登場していまして、でわたしの「ビッグスリー」はどれも旧型です(TωT)新型は素敵に進化していますね。
ビッグⅠ:プラスマイナスゼロ
白くて小さくてかわいらしいリモコンですね。
表側はボタンも最小限。「電源」「風量」「スリープタイマー」「オンタイマー」で、シンプルなアイコンで表示してあります。日本語が読めなくても直ぐ使えます。
裏側はプラスマイナスゼロの有名なロゴのみで、しかも型押しのようになっているだけなのでとてもシンプルです。
これを見ると、やっぱりロゴマークはとても重要だなということがわかりますねー。
ロゴマークに複雑な図形や色遣いを採用してしまうと、ンー( ˙-˙ )目立つかもしれませんが、商品そのもののデザインに影響してしまう。
あと、このリモコンの素敵なところは、中に磁石が入っていて扇風機本体の金属部分にピタっとくっつくのです。くっつけた姿がまたかわいらしいという。
サーキュレーターの微妙にメカちっくなデザインよりもこちらを選んだ理由のひとつです。
ビッグⅡ:Aamazon fire TV
初期型なのでもう売ってないと思うのですが、リモコンのデザインはほぼほぼ変わっていません。まずテクスチャーが美しいです。しっとりとした艶消しブラックで、細身でてのひらになじむ感じ。初期型のほうがボタンも最小限でスッキリしていますよ。
初め親の家のテレビに設置していたので、さすがに78歳「電源はどれか?」と聞いてきましたが、それっきり問題なく使いこなしていましたよ。
ボタンにテキストがついてなくても、お年寄りでも使えるということが分かりましたね。新型モデルには電源ボタンが増えていますけど。
ビッグⅢ:Bowers & Wilkins
まず、「ツェッペリン」というネーミングからしてもう素敵ですよ、ズルいです。
それこそ初期型だったのでこの素敵なリモコンがくっついてきたようなのですね。
なぜならこの次のモデルからBluetooth内蔵になったので、ワイヤレスでiPhone端末から操作できるようになりました。
リモコンのデザインは「ツェッペリン」本体によく似たラグビーボールのようなコロンとした形でとてもかわいいのです。
表側は小さなボタンが控えめについていて、裏面が表とはまた違ったデザインになっていて、クロム仕上げの中央に「B&W」のマークが入ってほんとうに美しい。
当時はiPhoneスピーカーが欲しくていろいろ見てはいたのですが、どれも「ザ・スピーカー」って感じのデザインばかりだったのと、小さなものだと音がイマイチだった。
そこで出会ったのがコレでしたね。見た目も美しいし音も良いのです。
実は一度音が出なくなって故障してしまったことがあったのですが、修理してくれる代理店をネットで検索して見積に出しました。
近くの大型家電店に問い合わせたところ「B&W?ナニソレオイシイノ?」(*_*)わからないから受付できないと言われたので。
かかった費用は送料込みで¥15,000くらいだったと思うのですが、とても気に入っていたのでそのまま修理して現在も使っています。
以上です、最後まで読んでくださってありがとうございます。
工事請負契約とか契約とか義務とか、分かりにくい場面ではこうしていましたという例
前職は建築士で建築事務所に勤務していましたよ。
何年も続けているとあたりまえですが、いろいろな相談ごとを聞くようになったり、あらゆる問題に直面しながらたくさんの現場を見てきました。
新築した人や物件を購入したばかりの人、そして同業者ならきっとわかるはず。
わたしはエラくはないですが経験値だけはソコソコあります。
ある人のブログを読みました。
マイホームを購入する際に、住宅会社と契約書をかわすのだけれどその契約書の内容が注文者(施主)にとって不利な内容になってやしないのか不安だという問題。
これね、マイホーム購入時に限らず何でも『契約書』ってモノは、こ難しい文章になっていて誰でも不安になりますね。その気持ちよく分かります。
ひとつのやり方なんだと思うのですが、わたしがいた事務所では契約日に施主に対して工事請負契約書・重要事項説明書・設計契約書・見積書・図面・仕様書、とにかく全ての内容を細かく説明していましたよ。
契約条文からコンセントの個数までもぜーんぶです。
時間にしたら昼間一日はかかっていたと思う。
まず、契約日の数日前に契約書書類を一旦、施主に預けて目を通してもらっていました。
施主にしてみれば何やらややこしい文章が並びますが、これから自分がかわす契約書です。
金額も大きいし、だからちょっと頑張って読んでもらいたい、そして引っかかる言葉や条文があったら当日正直に言ってもらいたいと伝えていましたよ。
そう言うと、みなさん頑張って読んでくださって当日は質問したいことを準備して会ってくれていましたね。
そのかいもあり、初めからこちらに疑いを持たれるとか信頼関係が薄いとか、そんなような心配は無くて楽しく工事が始まっていましたよ。
だって、どう考えても請負者と注文者では、請負者のほうが情報も知識も多いのだから弱者か強者でわけるなら、注文者のほうが弱者になると思うのですね。不安になるのは当たり前です。
それに、わたしが注文者だったら(けっこうこまかい性分なので)十分な説明を聞きたいし、設計者としては注文者に納得してもらいたかった。
当日、「そこ?!」( ゚Д゚)というような、オドロキの質問をされることも無くはなかったのですが、モヤモヤしたまま始めるのは何も良いことはないんです。
ただ、このやり方が本当に正解かどうかはわかりませんよ。
もっと違う方法もあるかもしれないし、いずれにしてもこの方法だと施行者側も注文者側にも、ある程度の労力と時間が必要になりますから、「めんどくさい」と思うかもしれません。
「めんどくさい」・・・確かにそうなんですよね、この辺は信頼だったり精神的な面も関係してきますし、なかなか合理的にパッパとはいけないんですよね。
しかし、嬉しいことに最近では強い味方、大変頼りになるGoogleさまがいらっしゃる。しかも、誰でも・無料で・いつでも・あらゆることを検索し知ることができる。
ちょっと調べれば、たくさんの情報を見ることができますね。大変便利な世の中です。
「工事請負契約」とか「契約書」などで検索するだけで、弁護士さんが書いたブログなどが見つかり細かい説明を読むこともできます。
ところで、思うに契約書や保険の約款など、そして法律、建築基準法や民法、これらはとにかく文章がとっても読みづらいし理解しづらい。
わざと?( ゚Д゚)、と言いたくなる。
もうね、学校の授業にちょっとだけでも入れたほうが良いのではないかと思う。
それともう一つ、投資と簿記の授業も。
「生活上の法律の基礎の基礎」と「投資と簿記の基礎の基礎」
一般科目よりも楽しいかも?どちらもお金に関する話しだし、将来必ず役に立つ。
特に最近はフリーランスだったり個人事業主が増えているのを見ると、業務委託契約などを交わす場面や複式簿記で確定申告、さらに自己資金をどのように投資し運用するかなど必要な場面は多い。
法律にしても簿記にしても投資にしても、面倒だし難しそうだわ~というイメージしかない。
子供のころからこのような生活上の法律やお金の知識は、ある一定程度は持つべきだと思うし、何よりこういう授業があれば子供たちも楽しのではないかな。
話しがとっちらかってきましたので、まとめてみようと思います。
法律上、建設工事請負契約書は重要事項説明の義務はありません。
記載する内容については建設業法で決まっています。
しかし、建築士法では設計・工事監理については建築士に重要事項説明の義務があります。
そして、建売物件を購入する場合には、契約前に不動産屋さんに重要事項説明の義務がありまして、これは宅地建物取引業法で決まっています。
・・・ね?(*_*)これだけでも、ワケが分かりませんね。
何が言いたいのかというと、ただでさえ分かりにくい部分が多い契約の場面においては、お互いに配慮して説明したり調べたり質問したりする手間と時間を設けるべきと思うのですよ。
お互いが配慮して協力するのですね。
めんどくさがらずに、ぜひお願いします。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
AI・教育について立派な先生の何気ない一言に昭和を感じた朝
ガッカリモヤモヤの朝です。
(*_*)
はてなブログを始めるにあたって、
絶対にこんな感じ(?)の内容の記事は書きたくないわぁ~と思っていたのですが、どうしても朝モヤモヤした件が気になり、今後このモヤモヤ対策をするためにも今残しておこうかと。
きっかけはホリエモンチャンネル
ホリエモンチャンネル、時々YouTubeで見ている番組なのですが今朝見た回でのモヤモヤ話しです。
簡単に説明すると、堀江さんと一緒に出演されている寺田さんが、堀江さんと今回のゲストコメンテーターであるF先生を前に「久しぶりにお料理を作って参りました~」という出だしの後の会話。
F先生:「すばらしい!手間がかかってるわ」
***
堀江さん:「ほんと料理うまいよね~」
寺田さん:「(笑)ありがとうございます」
これだけ見ると、まあ普通に会話が成立しています。
というかこれだけで良かったんだと思う。
実は***のところに余計な一言がありまして、そこからモヤモヤしましたよ。
F先生:「すばらしい!手間がかかってるわ」
F先生:「こおーいうひとを、奥さんにしなきゃダメよ(堀江さんに向かって)、料理上手い女性(ひと)ね」
堀江さん:「(苦笑)あ、そうなんすか」
堀江さん:「ほんと料理うまいよね~」
寺田さん:「(笑)ありがとうございます」
は( ゚Д゚)、それ要るん?
いや、褒めたんかな?
F先生は著述家であり大変立派でエライ先生です
WikipediaによるとF先生、たくさん執筆などされていますし、AIや教育・起業・働き方などについて若い人に向けて講演・講義をしていたり、たくさんのメディアにも登場なさっているし。
マサカネ、だからガッカリしたんですね。
多分これが彼の本音なんだと思う。
女性=料理上手い=奥さん=家事する人
別に料理が上手いのは旦那さん、お父さん、彼氏でも良いではないの。
それからというもの、F先生の教育・起業についてのメッセージは、日本の若者に向けてではなくて若い男子に向けた言葉だったのか?とも思えてしまって、なんかヤな感じしかしない。(いやいやそれは考え過ぎ)一瞬だけで偏見を持つのは良くないわ。
しかしーー(*_*)、ガッカリしたのは事実。
ガッカリモヤモヤです。
息をするように言うよね、けっこうカチンときてますよ女子は
人はこういうふとした瞬間に、その人の本心が出るんじゃないかなーと思っているんですね。
つまり仕事やなんかで人の前でしゃべる時はそこそこ気を張っているのに、ちょっとした瞬間、気を許したときに息をするように出る言葉、ため息だったり相づちなんかと似たようなイメージでしょうかね?フーーっとなーーんも考えずに出る言葉ですね。
よっこらしょ・・・みたいな?
たぶん悪気は無いんだとは思う。
だからマズイことになる(^^;
もう今、気を付けるべきでしょ日本のおじさんおばさん
しかしね、なんでもかんでも女性蔑視とか性差別とか言うのは好きではないんです。
重箱の隅をつつくような、ただの揚げ足取りのようなのもシンドイし。
ただはっきりしていることがあると思うんですね。
それは、もう配慮というか気を付けるようにするべき時期に入ってしまっているということ。
何が言いたいのかというと、例えば『男は外で働き女は家を守るのが普通』とか、『男は〇〇、女は△△が常識』とかね、今更こんなこと堂々と言い放つ場面も無いとは思うのだけれども、例え思っていたとしても言葉にするべきではないし、わたしたちが親や社会から言われてきた(旧い)常識は今はもう非常識になってきていることにも気づいているのに、それでも今の若い人に(わたしたちがされたように)押し付けたり、同じような期待をするのはトンデモナイ間違いなんじゃないかと思うんですね。
「料理がじょうずだね」「ありがとう」これで良いじゃないの。
どっちが男でも女でも。
ガッカリモヤモヤの対策は、まずググる
というわけで、今朝はガッカリモヤモヤしてしまったので、今後はF先生の文章や動画などをたくさん調べて、F先生に対し偏ったイメージを持たないようにしなくてはと思うのです。
堀江さんも寺田さんも笑うしかなかった場面がちょっと痛かった。
ホリエモンチャンネルという番組も、堀江さんも寺田さんもわたしは好きです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
映画ボヘミアン・ラプソディは、今観るべきという話し
観てきました。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』です。
何て言えば良いのか、心と記憶を揺さぶられた気分です。
今年一番の映画を観たわー♪と思いましたよ。
映画そのものの内容については、他に詳しいブログやサイトがたくさんあるので、ここではちょっと別の理由で『映画ボヘミアン・ラプソディは今見るべき』という話しをしたいなと思いました。
同じように昭和生まれで80年代の洋楽ド真ん中だった人ならきっと「あ~・・・」と共感してくれるはず(´-`)ノ
もともとあまり観たいと思わなかったその理由
実はこの映画、公開前からどうも観る気がしなかったんですね。
その理由は3つ。
- 個人的に今最も気になる俳優である、ラミ・マレックが主役だったから。
- 当時の海外アーティストにありがちだった黒い噂話し、金・ドラッグ・ゲイ・差別など辛い事実が出てくることが予想できたから。
- エイズが原因で亡くなった当時のことを知っていたから。
ところが、急にオットが「なんだか評判が良いみたいだから観に行こう」と言うので、それほど期待もせず行ってみることにしました。
そしたらば、オープニングのライブ・エイドのステージへあがるシーンからもう釘付けになりました。映画が終わってほしくなかったしずっと観ていたかったです。
ライブ・エイドとバンド・エイド
この映画のオープニングとエンディングにライブ・エイドという世界的に有名なチャリティーコンサートの様子が出てきます。
これは冷静に観たら、とんでもなくスゴイ状況ですよ。1985年当時にこれだけの大規模なことを音楽アーティストとその関係者がやってのけるって一体どんな時代だったんだ?と、映画を観た人はみんな思ったはず。
ところで、わたしは映画を観終わって家に帰るまで、ひとつまるっと勘違いしていたことに気が付きましたよ。
それはライブ・エイドをバンド・エイドと勘違いしていたのです。
この時代に世界中が感動した一連のチャリティーブームがあって、当時の記憶がごちゃ混ぜになっていたようです。
順番は、英スーパースターが集まって結成されたチャリティプロジェクトのバンド・エイドに始まり、そのアメリカ版がUSAフォー・アフリカ、そして20世紀最大のチャリティコンサートといわれるライブ・エイドに繋がります。
この一連の発端は何なんだ?と思った方はライブ・エイドで検索してみてください。
アフリカ難民救済のために始まったなど、たくさん出てきます。
(わたしにはとても説明しきれません。。。ただの地方の中学生でしたから)
その、バンド・エイドの「ドウ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」は当時ほんとうによく聞きましたね~。今聞いてもとてもとても良い曲です。
↓↓バンド・エイド「ドウ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」の動画-YouTube-
この曲の終わりの方、『♪キンコンカンコン♪・・・』というチャイムが鳴る場面は、当時中学生だったわたしの記憶の中に心地良いフレーズとして残っていますね。
ちなみにわたしが80年代に好きで繰り返しアルバムを聞いていたアーティストは、
- デュランデュラン
- ワム!
- アーハ
- ヴァン・ヘイレン
- ボンジョヴィ
- デッド・オア・アライブ
とにかく、豊作過ぎですこの時代。
リストにするだけで思わずニヤニヤしてしまいますねー( *˙-˙* )
歌はうまいし美しいアーティストが多かったし、夢中になって聞いていましたよ。
「ウィ・アー・ザ・ワールド」が歌える?
バンド・エイドの次にUSAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」が来ました。わたしは当時クラスで仮装してひな壇に並び合唱した記憶がありますよ。
一番背が高いという理由だけでライオネル・リッチーの仮装をしたクラスメイトがいたり、マイケル・ジャクソンに至ってはもはや誰だかわからない姿だったような(^^;
とにかく、クチパクではなく歌詞を覚えてみんなで歌って盛り上がったことは間違いないです。
この曲も何度も聞いたし、誰でも歌うことができる良い曲でしたね。
↓↓USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」の動画-YouTube-
ソロの歌声を聞きつつ、若かりし頃のアーティストの名前やグループ名がすべて答えられたらすごいですヽ(・ω・)/
ライブ・エイドの噂
そして1985年7月13日あのライブ・エイドが開催されました。
通信衛星を14台使用し世界84カ国で生中継を行い録画放送まで入れると140カ国以上、20億人?!がこれを現地やテレビで体験したことになります。
イギリスとアメリカで二元同時中継を行い、総開催時間は12時間という長さ。
イギリスステージはロンドンのウェンブリー・スタジアムに8万人、アメリカステージはフィラデルフィアのJ.F.K.スタジアムに10万人。。。( 'ω')?!
その他日本を含め、各国・各地にサテライトスタジオもできました。
要するに、想像を絶するとんでもないチャリティイベントだったわけです。
ところが、日本ではそれほど・・・?
昭和の過去の歴史映像や時事・芸能などを振り返るようなTV番組にも、ほぼほぼ紹介されることが無いです。それは何故か?
これは個人的意見ですけど、その理由のひとつに言えることは、欧米人に浸透している「チャリティー」の意味合いが日本ではちょっと理解が難しいというか考え方にズレがあるから。そして今でも欧米のそれに慣れないまま現在に至っているのではないかと。
宗教と文化の違いと言ってしまえばそれまでなのですよ。
欧米人は一般的に富める人が貧しい人を支援するのは当たり前のこと、事業で大成功したり有名になってお金持ちになったら国内外を問わず寄付や慈善活動をするのが一般的で、しかも自分の名前と金額までも公表してする。
そして何か支援活動をした分必ず良いことが帰ってくるからやる、という考えも普通。
日本では、どうでしょう?
良い活動をする、良い行いをしたいという思いは同じです。
別に誰かを批判するつもりはありません絶対に。ただ、「チャリティー」についてとらえ方が違うのと、その習慣があまり浸透していないというだけのことだと思います。
日本でも、災害などがあったときには多額の寄付やボランティアが集まります。だから全く無いわけではないのですが、しいて言うならあまり長くは続かないのと、この集まった寄付金はちゃんと届いているの?と疑うような場面が多かったり、本当の目的は何だった?と言いたくなるような企画を変わらず毎年続けてみたり、被災地の力になりたいからと参加したボランティアのために現地では余分に物資を準備しなくてはならなかったりと、なんとなくうまくいっていないような気もします。
しかし、これもあと何年かしてわたしの世代くらいまでの人がいなくなれば、その考え方や文化、政治にしても日本の良い部分を残しつつ、世界基準を取り入れた変革・進化があるのではないかと。(^^;
とは言え、ライブ・エイドで集まった寄付金や物資が全て無事にアフリカ難民救済に届けられたのかと言うとそうではなく、金銭がらみの問題なども起きたようです。
ちなみに、募金総額は280億円集まったのだそうです。
うち、日本からは3億円(^^;;
理由は日本でのテレビ局による放送と企画に問題があったからと言われています。
これにはかなり残念な悪評がありますけどね。
確かに、当時わたしもちゃんとテレビで観た記憶が無いんですよねー。
夜中は眠っているし、昼間は学校へ行っていたからかもしれませんが。
ちなみに、この年の夏にTシャツプレゼントが欲しくて地元のラジオ番組にハガキを出したら、デッド・オア・アライブのピート・バーンズの美しい顔がプリントされたロックなTシャツが見事当たりまして、嬉しげに夏中着ておりました。( *˙-˙* )ロックです
とにかく、映画を見終わってオットが言っていたのですが、
「こんなことができた時代だったんだよなー」
ほんとそれです。
ラミ・マレックって知ってる?
ところで、以前にも書いたことがあるのですが、わたしは海外ドラマが好きでよく観ているのですが、3年前くらいに初めて日本で放送開始になった『Mr.ROBOT』という海外ドラマがありまして、人によっては好き嫌いが激しく分かれるタイプのドラマなのですが、わたしはすっかりハマってしまいましたよ。
このドラマの主人公が、ラミ・マレックです。
社交不安障害を患う若いエンジニアの主人公エリオット(ラミ・マレック)が実は天才的なハッカーという設定で、天才で物静かで見た目は小柄でか細い身体に常に無表情、ギョロっと大きくて寂しげな瞳がとても印象的な顔立ちで見事なハマリ役なんです。
ちなみに、わたしはこのドラマを見た日から、自分のノートPCのカメラレンズにシールを貼りました・・・(^^;ナニソレ目隠し
海外ドラマ『Mr.ROBOT』も観てみてください、是非。現在Season3まであります。
↓↓AXN Japan-MR.ROBOT- Webサイト-
↓↓AXN Japan-MR.ROBOT Season-1の動画-YouTube-
物静かで小柄なエリオット役から、超パワフルな声量でぶっ飛びファッションのフレディ・マーキュリー役へ・・・全然違う人になるわけですよ。
それにこの手の伝記映画でビッグアーティストの物語は、結局イマイチな仕上がりになる場合が多いし、特に自分が好きだったアーティストの場合、それを誰が演じるにしてもあまり観たくないというか・・・(^^;イメージなんかもありますからね。
もともとあまりこの映画を観たくないかなと思った理由の一つです。
ところが、そんな心配は全くありませんでしたね。良い意味で裏切られた感じです。
ラミ・マレックはフレディ・マーキュリーでした!
というかそれ以上の完成度だったと思います。(わたしに言われたくはないと思いますけど(^^;)
彼は、完全にエリオットではなくなっていましたね。所作、表情や眼差し、体型までも全く変わっていましたよ、驚きです。
ハリウッドの役者さんってほんとにスゴイですね。
ちなみに、オットは当時クイーンのギター、ブライアン・メイのファンだったらしく、この映画のラストシーンでは勝手に涙が溢れ男泣きしておりました。
もう、フレディなのかラミなのか、どっちどっち?( 'ω')?です。
まとめ
いろいろ書きましたが、まとめると
80年代に世界中が感動した一連のチャリティーブームがあって、そもそもの発端はアイルランドのミュージシャン、ボブ・ゲルドフがエチオピア難民の惨状を見てショックを受け自分にできることを考えたことに始まって、「ドウ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」という名曲が完成し、ミュージシャンに呼びかけてバンド・エイドとなり、それに続いてUSAフォー・アフリカになった。
そしてそれが「1億人の飢餓を救う」というスローガンのもと、20世紀最大のチャリティーコンサートと言われたライブ・エイドへ続く道になったこと。
日本ではゴニョゴニョ問題(^^;もあったけれど、こんなことがあったなということを懐かしんだり思い出したりするために、また若い人にも知ってもらいたいのと、これからの日本や世界の「チャリティー」について考えるきっかけにするためにも
是非、今観るべき映画です。『ボヘミアン・ラプソディ』
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
今さらですが買って良かったモノの話し。~水廻り編~
バスルームに、買って良かったモノの話しです。
今さらなんですけど、それはバスタブトレーです。
風呂蓋を使うのをやめたい
そもそも足踏みしていた理由は、風呂蓋をやめるかやめないか。
本心は早く風呂蓋をやめてしまいたいのに、毎晩バスタブのお湯につかったとき首だけ出して蓋をし、要はサウナのようにしてお風呂に入っていて、その間タブレットを蓋の上に立ててニュースや新聞記事、ネットTVを見たりしていたもんだから風呂蓋がなかなかやめられなかっただけなんです(^^;
風呂蓋のお手入れはメンドクサイ
けど、日々蓋の手入れはとってもメンドクサイんですね。
バスルームに置いておくだけでも、バスタブやタイルに水垢の原因になります。
しかもわが家のバスタブは、オーバル型のスタンディングバス。
そんな輸入バスタブに合わせた日本製のオーバル型風呂蓋、当然無理があるんですよね。
むしろ、よく作ったなーと思います。
この風呂蓋の形状のせいで、しょっちゅうバスタブの縁から滑り落ちるし、乾きづらいし。
風呂蓋をやめた場合について考えてみる
しかし、風呂蓋が無くなったらどこにタブレットを置けば良いのか?
”風呂蓋サウナ”という使い方はやめられても、”お風呂でタブレット”はやめられないんですね。(けっこうゆっくり新聞が読める時間なんです)
そこで、随分前から気にしていたバスタブトレーです。
風呂蓋をやめてバスタブトレーに変えても、手入れはしなくてはいけません。
できるだけ楽になるものを選んだつもり。
そして↓このようになりました。
↓裏側は滑り止めも
感想は、もっと早くこうすれば良かった、です。
風呂蓋をやめたらメリットが大きかった
”風呂蓋サウナ”を諦めたことはちょっと残念だったのですが、お掃除の手間は1/5くらいに軽減されました。それに見た目も断然美しいです。
タブレットも快適に使えます。
最初は竹製のトレーにしようかとも考えたんですが、やはり乾きづらさやカビの心配があったので、プラスチック(ABS樹脂製)のこちらにしましたよ。
絶対止めた方が良いと決めていたのは、スチール製品で塗装が施してあるもの。
水廻りで使う場合にはその塗装が劣化したとき、バスタブなどにサビのような色が移ってしまう恐れがあります。それに重いし。
あと、気を付けるべきはステンレス製ですね。
時々、ステンレス製と書かれていながら混ざりモノが入っていることがあります。
磁石がビタっとくっついたり(^^; そうなると、やはりサビの心配があります。それに動かすたびにガチャガチャ音がうるさそうですしね。
その点、ABS樹脂製はサビる心配が無いうえ、耐薬品性という特性があるので酸やアルカリに強い。ということは一般的なお手入れがし易いのが良い。そして軽い。
ただし、日光・紫外線にあて続けると変色したり劣化が早くなるので、バスルームに窓があって日当たりが良い場合などは使い方に注意が必要かもしれませんね。
わが家は窓無しのバスルーム・サニタリールームなので、その心配はありませんでした。
あと、コレとてもお手頃価格です。
数か月使ってみて再び感想を振り返ってみたいと思います。
本当に良いデザインは相手に優しい
そもそも、このようなバスタブトレーをなかなか買わなかった理由のひとつに、バスタブの素材の心配がありました。
輸入品のスタンディングバスは突き詰めればいろいろあるとは思うのですが、素材がアクリル製のものが多いんですね。
理由は比較的安価で輸送にもそれほど困らないうえ、軽くて施工性・加工性が良くユーザーも手入れが普通にできる。
ただし、日本製のよくあるバスルームの素材、FRP(ガラス繊維強化プラスチック)や人工大理石などにくらべると、正直ちょっと汚れが付きやすい。
一見、表面がツルツルしているので直ぐに洗い流すなどすればそれほど手間はかからなそうですが、何もしなかったり放置するとあっという間に表面がザラついてきて色もくすんできます。水垢も付きやすいです。
ということは、バスタブトレーのようなものを常に置きっぱなしにしていると何かしら汚れが付く原因になりやすいのではないかと。
(^^;
デザイン性と合理性が満足できたとしても、基本的に日々のお手入れが現状より辛くなるのでは意味が無い。自分がどこまでお手入れに時間をかけられるのか、そしてそれを継続できるのか。それが楽しめる程度であれば別に心配はしなくても良いんです。
もちろん、わたしにとっては見た目のデザインはとても重要なんですが、日々の家事・作業が辛くならないようにもしたいので、辛くなるようならもっと別の良い方法を探してから決めようとして、妙に時間がかかることがあります。
しかし、本当に良いデザインというのは相手に優しいはず、と信じているんですね。
このデザインのためなら辛抱しろ?!というような乱暴なデザインは、特に住宅設備に関してはちょっと違うなと思うんです。
こうして、いつも調べることが多くてメンドクサイなーと思うときもあるんですが、これも性分なんでしょうねー・・・。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
すべては大掃除が嫌いだから始めたこと
20代で実家を出て一人暮らしを始めた時から、「大掃除」をしなくなりました。
理由は、大掃除をしたくなかったから。
メンドクサイうえ時間と体力が要るんですよね。あと、お金もかかったりするし。
じゃあ、その大掃除をしなくても済むようにするために、どうしたのかというと
毎日ちょこちょこお手入れをするようになったというだけなんです。
お手入れというと聞こえが良いけど、要するに毎日の普通の作業工程の一部にそれをしただけという感じ。
例えばトイレだったら、仮に家では1日4回トイレを使用したとして。
その使用が終わって出る前に、まず1回目はついでに洗剤をスプレーしてブラシを使って簡単に全体を洗い流す。(30秒~1分)
2回目は、手洗いのボウルと排水口と吐水のクロム部分をサッと磨く。(30秒)
3回目は、便座の表と裏を流せるペーパータオルでササッと拭く。(30秒)
4回目は、タオルがあればそれを交換し、ダストボックスのゴミを回収してから出る。(30秒)
どれも1回30秒程度で済む作業。用事があって?とても急いでいるような場合は1回、2回は素っ飛ばしたとしても大した問題にはなりませんし、誰も怒りません。
毎日2~4回365日これを続けたら・・・ね?トイレの大掃除は無くなります。
TVコマーシャルで言うような、「サボッタリング」は出張や旅行で数日家を空けたときくらいですよきっと。
他にも、浴室だったら毎日1回お風呂が終わって出る前に、
・排水目皿の髪の毛やゴミを取り除く
・バスタブを使ったとしたら栓を抜き、簡単にスポンジを使って洗い流す
・床や壁の水滴をスクイージーやワイパーなどで拭きとる
確かに、浴室は30秒とはいきませんが、この3つと換気扇を使えば年中カビ知らずです。
但し、換気の際は窓・扉を必ず閉じてくださいね。
よく窓を開けたまま換気するところを見かけますが、これだとなかなか浴室が乾きません。
キッチンだったら毎日1回後片付けの最後に、
・コンロ周りをセスキスプレーなどを使い油と汚れを拭きとる
・シンクの排水口の生ごみなどを取り除く
・シンク水栓のクロム部分とキッチンカウンターの水滴・水垢は全て拭きとる
こちらも30秒とはいきませんが、1日にたったの1回だけですし、終わってから美しいキッチンを見ると達成感がありますよ。
因みに、わたしは以前から水切りカゴをやめました。
理由は、毎日どんなにキッチンをきれいに片づけても、その景色に水切りかごがあると生活感が出るし、ステンレスカウンターにキズやサビのようなものがついたり、手入れを怠るとヌルヌルするしそもそもそのカゴを洗うのがやたら面倒だったからです。
それに何より、洗い終わった器具や食器たちが濡れたままいつまでもそこにあるというのが、まだ終わっていていないようなやるべきことが残っているような・・・つまりやりっ放しかつ出しっ放し(^^;のように感じてしまったからです。
終わったようで終わってない様子がとにかくスッキリしなかったんですよねー。
性分ですねきっと。
そうなると食洗乾燥機でも無い限り、布巾などで拭きとって洗ったものを全て収める必要があります。
メンドクサイといわれればそうかもしれません。「忙しい人には無理よ」といわれることもあります。
なので、無理のない範囲で気分良くできれば良いことだとは思います。
でもちょっと考えてみてください。
このようにして、毎日の作業の流れの一部にできそうなちょこちょこお手入れは無限にあるんです。
少しづつやってみたり、そんな中でもっと楽にできる方法が見つかったらそのルーティンを変更してみたりして、とにかく目標は大掃除をしないで済むことなんです。
(メンドクサイ作業を増やすことではありません)
年末にバタバタしたり、無駄に掃除用具にお金を使ったり、スゴイ汚れと対決したり(+_+)・・・一番はこれですよ、特に水廻りの排水口は怖いんですよホントに。
詰まるし、臭うし、そこに自分の手を入れないといけないとか、考えただけで恐ろしい・・・(>_<)ヤダー
自分が嫌なことは基本的には他の人も嫌なはずです。
お金を支払ってなんとかやってもらうというのであればそれでも良いでしょう。それがビジネスそして経済のためになるのであれば。
まだいける・・・まだいける・・・と放置し続けて年末に気分が悪くなるようなメンドクサイ作業が待っているのよりも、毎日ちょっとだけお手入れをして、達成感を味わいつつ気分良く過ごせたら、気がつけば周りの人からはよく褒められるし、無駄にお金を使うこともないし、そうなればメンドクサイと思わなくなって結果良いですよ。
目標を定めてどっちが得か、どっちが楽か、それを想像したら自然と行動パターンが見えてきます。見失ってはいけないのは、目標ですよ。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
読んだことないけど西加奈子さんが好きです。~「ボクらの時代」を観た~
わたしは本をほぼ読みません。
あ、でも、建築・デザイン・IT・経済の趣味と身になる書物は好んで見ますよ。
ところが、小説や物語、エッセイなどは3行で疲れて眠くなるんです。
いままで何度もチャレンジしようとしましたが、厚さ1センチの短編集でも最後まで読み切れませんでした。
恐らく、写真や図解があって明快で事実に関する文章を読むほうが好きなんだろうと思います。
そのせいで?だとは思うのですが、普段から本を読まないので、いわゆる語彙力の乏しさといったらハンパないです。日本人失格かも。
で、本読んだことないけど西加奈子さんが好きなんです。
予想通り、ネットでも話題になっていましたよ。
週末朝のテレビ番組「ボクらの時代」に、若林正恭さん×山里亮太さんと共に出演。
これがとてもおもしろかった。
何がおもしろかったのかというと、いろいろな事実に基づく考え方を西加奈子さんが、まるで図解を示すかのように明快に言葉にしていたというところ。
いちいちスッキリするんですよね。
少なくともわたしはそう感じたので、ますます西加奈子さんが好きになりました。
(本読んでませんけど( ˙³˙)ノ)
そんな西加奈子さんの言葉の数々を(勝手に)書きとめておくことにしました。
- 1.天才は怒りのパワーが衰えない
- 2.若林さんは人間1回目なんよ
- 3.歯ぐきから血出るくらい嫉妬した
- 4.結婚を幸せなものと思いすぎてるんじゃない?
- 5.結婚して最も良かったことは、「結婚しないの?」と聞かれなくなったこと
- 6.ラブラブのときは、その二人が着火剤
- まとめ
1.天才は怒りのパワーが衰えない
「もう、大人だから良いかぁ・・・」が天才には無いのか、という話しでした。
丸くなるってどういうことかな?と、改めて考えましたね。
丸くなることを良しとする一般的な考えが正解とは限らないのかも。
2.若林さんは人間1回目なんよ
山里さんが、予想外の行動(空気読めないような)をした若林さんに関するエピソードを語ったところで、西加奈子さんがサクっと説明されました。
人間を何回も経験した人間がいたり、初めての人間1回目の人がいたり・・・なるほど、そう考えると人のあらゆる行動の説明がつきます。いちいち反応(イラついたり、悲しんだり)するのもおかしな話しなのかもしれないです。
3.歯ぐきから血出るくらい嫉妬した
チャーミングでおもしろくて強い意思が感じられる言葉だなと。
嫉妬というドロドロした言葉が、なんとなく強くてカッコ良く聞こえる表現になっていて、それこそ嫉妬してしまいました。
「嫉妬してしまった」なんてなかなか自分じゃ言えないからかな(^^;
4.結婚を幸せなものと思いすぎてるんじゃない?
更に、 ”結婚は日常の延長よ” と。
これには目から鱗?腑に落ちるというのか、とにかくスッキリ!しましたね。
いや、まさにその通りです。なんでその表現が今までできなかったのかと思いました。
結婚して幸せになったらそれまで持っていた勘や鋭さ?みたいなモノが消えて無くなってしまって、自分の個性や魅力が無くなるか変貌してしまうのではないかと思うと結婚できない、みたいな。
・・・これって正直、要らん心配ですよね(^^;
結婚したら100%幸せとはなりません。案外普通です。
5.結婚して最も良かったことは、「結婚しないの?」と聞かれなくなったこと
ほんとコレです。
「なんで結婚しないの?」「まだ捨ててないんでしょ?」
正直メンドクサイ言葉ですよね。よく言われていましたよ、わたしも。
言った方はそこまで悪意は無いのかもしれませんが、言われた方としては結構引っかかると思うんでね、サラっと流せたら良いんですけど。
だからなのか、言われ慣れてきた人は自分と同じように言われている人を見ると、
「本人にはちゃんと考えがあるのよ。」「あなたの好きにしたら良いよ。」など、気遣ってくれたりする場面もありますよね。
ところが、そう(気遣いの言葉を)言われた方はそれはそれでナンダカメンドクサイなーと感じたりしていましたね・・・(^^;
西加奈子さんの言葉によると、
”(結婚を)したいって言うことがサービスになっていた”
”人間は周囲を安心させるための説明が要る”
みんな安心するためには説明が要るのだと。
「結婚しないの?」と人から言われたときに、本当は結婚したくない上にまだひとりで居たいし、そもそもその孤独すら楽しんでいる状況なのに、それを正直に言っても周りが安心してくれない。
だったら「結婚はしたいですよ」と言う方が相手を安心させることができるしそれが周囲に対するサービスになっていた、という話し。
思えばわたしも、あそこまで喜んだ両親の姿を見たのは、今まで結婚が最強でしたね。
運動会で1等になったときより、リレーの選抜選手に選ばれたときより、苦しんで苦しんで国家試験に合格したときより、会社で昇進し取締役に就任したときよりも、わたしが結婚したことが両親にとっては嬉しいことであり、安心だったようです。
わたしとしては正直、微妙でしかないんですけど(^^;
なーんだそんなんで良いのかとも思いました。
恐らく、両親は両親で人から「お嬢さん結婚は?」とか言われていたんだと思います。そのたびに、仕事が忙しくて・・・とかなんとか説明をしていたんじゃないかと。
そしてそんな説明をしながら、心の奥ではもやもやしていたのかもしれません。
そう考えるとちょっと申し訳なかったなと思います、ちょっと。
こどもからしたら親に喜んでもらえることが嬉しいもんです。どうやって喜ばそう、褒めてもらおうかと考えているんじゃないかと思うんですね、無意識でも。
だから、正直に「結婚しない」と言ったら親が悲しむだろうなと思うと、どうにか安心させるような別の方法や説明を考えて、それを繰り返してきたように思います。
現在は、結婚したらそういったようなメンドクサイやり取りがなくなったので、
わたしも、西加奈子さん曰く ”ストレスフリーになった” ということです。
6.ラブラブのときは、その二人が着火剤
ラブラブの二人が居れば、大げさな演出や場所やモノは要らないという話し。
なるほど、確かにラブラブの二人ならどんな場所でもどんな状況にあっても、最強で楽しいはず。
ディズニーや豪華な食事も花束も要らないのだそう。
まとめ
西加奈子さんの言葉はハッキリしているのに誰かを傷つけるようなものではなく、むしろ多くの人の心をスッキリさせてくれるような気持ちの良い言葉ばかりでした。
わたしの勝手な解釈を書いていますが、きっと人それぞれ自分の立場に立った解釈があったのではと思います。
結論、やっぱり本はできるだけ読むべきです。
(^^;;
語彙力ないけどなんとなく生きてます。。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。